2012年12月18日 ウィーン国立歌劇場
指揮 ベルトラン・ド・ビリー
演出 クリスティーネ・ミーリッツ
伝統と格式を誇るウィーン国立歌劇場が世界最高の歌劇場であることは疑うべくもないが、だからと言って全ての上演が最高かといえば、決してそんなことはない。力が入る時もあれば、抜ける時もある。当然だろう。年間300公演を超える上演規模なのだから。
この日は、いわゆるレパートリー演目というヤツであった。既にプレミエから6年くらい経っている。
こういう場合、初役の歌手はディレクターからそれなりに演出上の指示を受けた上で舞台に立つが、それ以外はリハーサル無しのぶっつけ本番だそうである。それはそれで「よくまあ破綻せずに通せるものだなあ」と感心してしまうわけであるが。
別に、こうしたレパートリー上演だからといって、侮る必要はない。目からウロコの超弩級演奏が飛び出すことがよくある。名指揮者の鮮やかなタクトによって魔法が起きたり、一流歌手の絶世の歌声が全てを超越し凌駕してしまうことがある。「さすがウィーン、それでこそウィーン」というわけだ。
で、今回はどうだったか、というと、レパートリー上演の典型的パターンであった。
ここぞという所はしっかりと決めるが、全体的にはオーケストラも指揮もソツがない安全運転。それでいて、最低限の水準は死守してウィーンの面目を保つ。
なんだかなあ・・・。
まあ、でも仕方ないか。お客さんなんて、ほとんど観光客。カメラを片手に「あのウィーンのオペラハウスにいるワタシ」に酔っている奴らばかり。真剣にオペラを観に来ている人なんてほんの僅か。舐められて当然か。
主役の歌手3人はいずれも名だたるスター歌手である。ボータ、シュトルックマン、イゾコスキ。私はこのトリオが揃って出演したオペラを、7年前にこの劇場で観た。演目はローエングリン。ビシュコフ指揮による新演出だった。演出はちょっとヘンだったが、3人の圧倒的な歌唱に、ただただ感涙に咽ぶばかりだった。
今回、「あの時の感動をもう一度!」だったのだが、ヴェルディではちょっと勝手が違った模様。
ボータの歌はいつもながら素晴らしい。だが、指揮やオケと同様にやや安全運転。何よりも棒立ちのダイコン演技。頼むよぉ、ボータぁ。
私の大好きなシュトルックマン。今回、足を怪我していたようで、杖をつきながらの熱演。声の迫力はさすがで立派。だけどイタリア語の違和感がありあり。
そしてイゾコスキ。がっかり。たそがれの歌手、もはや風前の灯・・・。
うーむ、盛り上がらん。こんなに素晴らしい作品なのに。
こうなると、ヤバい。眠くなってくる。こちとら、長旅疲れと時差8時間を堪え、必死に目をこじ開けて鑑賞しているのだ。しかし、緊張感が解け、集中力が途切れると、睡魔は襲ってくる。第4幕でついに抵抗感が失われ、陥落。
その瞬間、私は単なる大勢の観光客の一員に落ちぶれる。偉そうなことを言う資格なし。舐められて当然。その程度のお客さんには、リハーサル無し、ぶっつけ本番、安全運転のレパートリー上演を与えておけば十分。
とりあえず、顔を洗ってもう一度出直してきます。4日後は音楽監督のタクトによる新演出上演だからね。お互い気合いを入れましょう。