クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/9/16 ROH オテロ

2019年9月16日   ロイヤル・オペラ・ハウス   神奈川県民ホール
ヴェルディ  オテロ
指揮  アントニオ・パッパーノ
演出  キース・ウォーナー
グレゴリー・クンデ(オテロ)、フレデリック・アンタウン(カッシオ)、ジェラルド・フィンリー(イヤーゴ)、グレゴリー・ボンファッティ(ロデリーゴ)、フラチュヒ・バセンツ(デズデモナ)、カイ・リューテル(エミーリア)   他


ファウストと同様、この日も総合的に非常にレベルの高い上演だったと思う。
再演目であるし、オテロの公演としても二日目であったにもかかわらず、あたかもプレミエのような熱気。短期間の来日公演で、必ずしも上演の質が十分に確保されるとは限らない中、一流歌劇場としての実力どおり、いや、もしかしたら現地の通常レパートリー公演以上のレベルをきっちりと示したことは、率直に称賛したい。

こうした上演の成否は、音楽監督がきちんと同行してタクトを振ってくれるかどうかが鍵になる。客演指揮者じゃだめ。パッパーノが核であり軸なのだ。来日公演で彼が果たした役割と貢献は非常に大きい。

また、来日公演2演目の演出家二人も、イギリス演劇の普遍的な伝統を受け継ぐブリティッシュ・マスターで、格調高い舞台を作り上げた。

オテロ」という演目にも、劇場のこだわりが感じられる。
言うまでもなく原作は、母国の偉人シェークスピア。前回2015年の来日公演でも、「マクベス」を引っ提げて来た。

こうしたことをすべて引っ括めて、最初に書いた「総合的に非常にレベルが高い」というのは、これすなわち、大英帝国の栄光とプライドということなのだろう。

K・ウォーナーの舞台は、シンプルで派手さはないが、いぶし銀のごとく磨かれていた。
スポットライトを使うことで光と影を創出し、それによって登場人物の心理面を浮かび上がらせる。
また、イヤーゴが手に持つ仮面は、いかにも暗示的である。
自らを道化師に見立てて、狂言回しを演じているのか。
それとも、登場人物全員が道化の如く踊らされることを示唆しているのか。
もちろんこの仮面は、舞台となっているヴェネチアのカーニバルの象徴。
印象付けつつ、観客に想像させる。
いかにもウォーナーらしいやり方だ。

タイトルロールのクンデは、歴史に名を刻んできた偉大なオテロ歌手と比しても、遜色が無い。凛とした風格が漂う強さと、嫉妬に狂う内面の弱さを、歌で存分に表現していた。(若干、演技は大根だったが)
それにしても、これだけ英雄的で強靭な声を持ちながら、並行してロッシーニドニゼッティなどのベルカント物、更にはモーツァルトもレパートリーの手中に収める幅の広さは、驚嘆に値する。

イヤーゴについては、演出によって悪人というより小賢しさが打ち出されていたが、その適役がフィンリーだったと思う。
逆に言うと、こういう演出でなければ、実直そうなキャラのフィンリーは目立たなかっただろう。

彼ら二人に対し、デズデモナのバセンツは、あまりインパクトを得ることが出来なかったが、それが彼女の歌のせいだったのか、濃いキャラクターに仕上がらなかった演出のせいだったのかは、正直よくわからない。