クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ティーレマン&ウィーン国立歌劇場の「マイスタージンガー」

ご承知のとおり、政府のイベント等の自粛要請によって、鑑賞を予定していたコンサートが次々と中止になった。

今、ヒマである。

ということで、ウィーン国立歌劇場ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演の収録映像を観た。2008年のライブ。指揮はC・ティーレマン。長いオペラは、ヒマな時に観るのがいい。

この視聴は、自分の中で「欠けてしまった物を取り返したい」という意味合いがあった。
もちろんそれは、先月ドレスデンで鑑賞することが出来なかった「ティーレマンマイスタージンガー」のことを指す。
ここで言う「欠けてしまった物」、それは「あの時きっと得られるはずだった感動」だ。

録音やビデオで生鑑賞の感動を追体験することは無理、というのは分かっている。
でも、録音やビデオでも感動することは十分に出来る。素晴らしい物は、何であれ、素晴らしいのだから。

さて、このマイスタージンガー、歌手陣がとにかく強力だ。おそらく、12年前の当時において、望み得るベストのキャストだったのではないかと思う。

ザックス役のファルク・シュトルックマンは、この時、ヴォータンやアンフォルタスなどワーグナーの重要な諸役で、頂点に立っていた。少々癖のある歌い方だが、それこそがシュトルックマンの持ち味。貫禄があり、威厳があり、風格がある。最高のザックスだ。

ヴァルター役のヨハン・ボータ
ああボータ・・。貴方様の歌声はもう録音でしか聴けないのか・・。なんて悲しいこと・・。
美しく朗々とした歌唱。演技は少々、というより、かなり大根だが、それもまたボータ也。
演技なんてどうでもいい。歌ですべてを制圧し、浄化させてしまうスーパーな歌手。
歌合戦の場面で、ヴァルターが「朝はバラ色の輝きて」を歌うと、祭りに集まった人々が「真の作者が歌うと、こんなにも素晴らしい歌になるのね!」と湧き立つ。
あれは決してドラマの中の出来事ではない。
その場にいるすべての人、舞台に立っている合唱陣も、劇場内で鑑賞している人も、映像を視聴している私たちも、皆ボータの歌に聞き惚れ、湧き立ち、感動しているのだ。

アドリアン・エレートのベックメッサーは、まさに天下一品、国宝級のナイス。6月の新国立劇場公演で、共同制作であるにも関わらず、ザルツブルクイースター音楽祭やザクセン州立歌劇場の本公演とでキャストが全面的に入れ替わる中、唯一エレートが参加してくれるのは、救いとしかいいようがない。

指揮のティーレマン
この映像を観たら、生で聴けなかった悔しさの念がまた募ってくるのではないかと危惧したが、やっぱりそうなった。クソー聴きたかったぜ。逃した魚はデカい。
特筆すべきは、鳴らすところは最大限に鳴らしつつ、歌手の聴かせどころでは下支えに徹し、物語を展開させる場面では回り舞台が動くかのごとく快活、その手さばきの鮮やかさである。
第三幕の前奏曲は、オーケストラの重厚な響きが、なんとも心地よい。絶妙のドライブ、圧巻の演奏。食い入るように観、そして聴き入った。さすがはティーレマン、そして、さすがはウィーン・フィル

クライマックスのザックスの演説歌、そして民衆の「ザックス万歳!」というハッピーエンドの高らかな合唱に、私は猛烈に感動して、涙がポロポロとこぼれた。
今、コロナ騒ぎで、世界中が危機の真っ只中だ。人々は不安になり、恐れ、萎縮し、下を向いている。
だが、ザックスは言う。「マイスターの働きに敬意を表すれば、聖なるドイツの芸術は廃れずに残るのです!」と。
民族の崇高な誇り、ここにあり。

そうだ。前を向こうじゃないか。この危機はいつか必ず乗り越えられる。その時には、必ずや「芸術万歳!」と叫ぼう。
そう思いながら聴いていたら、涙が止まらなくなった。

芸術の力、音楽の力を信じようぜ、みんな。そして、人類の力を信じようぜ。