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2011/12/20 都響

2011年12月20日  東京都交響楽団B定期   サントリーホール
ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)
ショスタコーヴィチ   ヴァイオリン協奏曲第1番、交響曲第12番「1917年」
 
 
 ジュリアン・ラクリンは以前にも聴いたことがあるが、相当のテクニシャンという印象が残っている。今回もまさにそうだった。目にも留まらぬアクロバティックな演奏技術。ショスタコのコンチェルトはかなりの難曲なはずだが、それをいとも簡単にというか、涼しい顔で楽々と弾きこなしてしまう。信じられません。聴衆も彼の超絶技巧にただ舌を巻くばかり。
 
 ただし、ショスタコーヴィチの深淵な音楽に浸ろうと思っていたら、演奏を聴いた結果、「ラクリンの腕前はすごかった。」という印象で満ちてしまったのは、果たしてそれで良かったのか悪かったのか。
 そもそもコンチェルトの鑑賞というのは、曲を通じて演奏者の腕前を聞くものなのか、それともソロがメインとなっている作品そのものを味わうものなのか。
まあ多分、その両方なのだろう。
 
 世界的な一流奏者は、一定の水準テクニックは当然持っていて、なおかつそれを感じさせず、作品を昇華させるような演奏で聴衆を魅了する。ラクリンを「単なる技術のひけらかし」などと断ずるつもりはないが、技巧だけではいつか行き詰まる。本格派への脱皮が求められる時期がいずれやって来る。レーピンなんかはそれを乗り越えて今に至り、「究極のヴァイオリニスト」としての階段を登っている。はたしてラクリンはどうだろうか。
 
 
 メインの12番は、まさにインバルのショスタコーヴィチそのものだった。
 前回の5番もそうだったが、彼はオーケストラが持つMAXの音、出力100%の音を要求し、それを全面に押し出して勝負する。本番でのインバルの仕事は、出過ぎた場合にそれを制御するだけである。だから、巨大でバケモノのような凄い音がする。
 聴いている側は、有無を言わせぬ説得力に圧倒され、あっけなく押し切られる。がぶり寄り。インバルの勝ち(笑)。
 別に、なんの文句もありません。だって、日本のオーケストラからこれだけの音を引き出すことが出来る指揮者なんて他にいないのだから。