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2022/2/28 都響

2022年2月28日   東京都交響楽団   東京文化会館
指揮  大野和士
小林愛実(ピアノ)
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第4番
ショスタコーヴィチ  交響曲第10番


大規模壮大でドラマチック、なおかつ高度な技巧を要する難曲作品が立派に演奏されると、つい「名演だ!」とばかりに指揮者とオーケストラを称賛したくなってしまう。
だけど、実は単に「曲がすごいだけ」、「曲のすごさに圧倒されているだけ」というのが意外と真相だったりする。聴き手は「演奏に感動した」と思い込んでいるが、本当は曲に感動している。
これ、結構ありがちなパターンだと私は思っている。特に、マーラーとかショスタコとかにおいて、傾向が顕著だ。
(以上の持論は、以前から度々言及していることではある。)

だが、断言しよう。この日のショスタコは間違いなく名演だった。演奏の勝利である。オーケストラがすごかったのだ。ハンパないくらいに。巨大な作品に対して巨大な演奏で応え、ねじ伏せたという感じだ。

着目したいのは、これをやってのけたのが「都響」だということだ。
都響は過去にもこのような巨大な作品を手玉に取り、圧倒的名演を成し遂げている。しかも何度も。

実力の程度や比較、一般的総合評価で言えば、N響や読響の方が上手かもしれない。たぶん。
これについては、上手さ、技術というより、「パワー」という言葉を用いることで、なんとなく説明が付く。
都響は演奏技術もさることながら、オーケストラの出力が大きいのだ。巨大な排気量のハイパワーエンジンを持つレーシングカーみたいな感じ。言っておくが、音量の問題ではない。壮大な音楽を構築させるための総合的合奏能力とでも言おうか。

では、その出力をどうやって手に入れたのか。
あくまでも個人的な推論であり、それだけが理由ではないだろうが、私は桂冠指揮者であるエリアフ・インバルの貢献が大きいんじゃないかと思う。彼がこのオケの出力を高めるべく徹底的に叩き上げたからではないか、と。

インバルの指揮の演奏を聴き、そのタクトを見ていると、あたかも彼が大きな枠を描き、「この枠一杯に音を満たせ!」と要求を飛ばしているように思える。その幾多の経験が素地となり底力となり、都響にハイパワーをもたらしたのではないか・・・。

なんて言っちゃったら、この日の名演の立役者大野さんの立つ瀬がないなぁ(笑)。
結果はすべて指揮者が負う。良い演奏だったのなら、それは大野さんの手柄。そういうしきたりになっているのだ、クラシック界では。

大野さんだってさすがだったのである。(いかにも後付けフォローで申し訳ないが)
まず、暗譜で振っていたのが単純に凄い。ものすごい音符の量ではないか。あれが全部頭に入るんだからねぇ・・・脱帽。

それから、ロジカルな作品解釈に基づくリードと、狂気とも言えるエモーショナルな爆発を巧みにスイッチ切り替えしながら、時に境界に立ちながら、コントロールしていたのも圧巻だったと思う。


前半のコンチェルトでは、3週間前のN響との共演に続き、またまた人気絶頂の小林さん。瑞々しい清らかなベートーヴェンで、小林さんの個性がよく出ていた新鮮な演奏だった。