クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

マンハイム国立劇場

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 ドイツには、ナショナルシアター=国立劇場と呼ばれているのが3つある。ミュンヘン、ワイマール、そして今回訪れたマンハイムである。
 とは言っても、純粋にドイツ連邦共和国が運営している、いわゆる‘国営’劇場かといえば、そうではない。そもそもドイツにはそういう意味での国立劇場は存在しない。国の名前が示すとおり、ドイツは州の集合体である連邦国家地方分権国家で、文化政策はほとんど州に委ねられている。未だに「バイエルン国立歌劇場」「ベルリン国立歌劇場」という呼称が一部で残っているが、実際は州立劇場だ。
 
 おそらく上記3つの劇場の‘ナショナル’というのは、州以前に過去の歴史において存在した「公国や王国の宮廷劇場」が由来になって、その名がそのまま残っているのだと思う。
 
 創設1779年のマンハイム国立劇場はドイツの中でも特に由緒ある劇場だ。
劇作家シラーにゆかりがあり、その昔E・クライバーフルトヴェングラー音楽監督を務めたこともある輝かしい伝統を持つ。近年でもホルスト・シュタインや準・メルクルなどの日本に馴染み深い指揮者が歴代の監督に名を連ねていて、現在は東フィルの音楽監督ダン・エッティンガーがその任に当たっている。
 
 現代において一流と称されるミュンヘン、ベルリン、ドレスデンなどに比べれば、そりゃ確かに格下感は否めないマンハイムだが、決して侮ることが出来ない。年間の上演演目数がどれくらいかご存知か。オペラだけで約30のラインナップが並ぶのだ。これはパリ・オペラ座やロイヤル・オペラ・ハウスよりも多い数である。すごいのだ。
 
 この驚異的なレパートリーを可能にする立役者が、アンサンブルと呼ばれる劇場の専属歌手たち。ウィーンやミュンヘンなどにも専属歌手はいることはいるが、こうした劇場が主役の大半をフリーで活躍する歌手から招聘して個別演目ごとに契約するのに対して、マンハイムなどの中小劇場ではほぼ全ての役柄を自前で揃える。
 すると、どういうことが起こるか。
「一昨日のヴェルディも本日のワーグナーも、出演者(歌手)は同じ」ということになるのだ。
 
 歌手たちは、それはそれは大変だろう。あらゆる役を任せられ、勉強し、覚え、次から次へとこなさなければならない。一方で、ものすごく鍛えられることだろう。こうして叩き上げられ、才能を磨きながら、よりレベルの高い劇場へと、果てはフリーの道へとステップアップしていくのだ。
 
 
劇場の紹介だけで、かなり長くなってしまった。
今回私が見たのは次の2演目である。
 
2008年5月6日  ワーグナー さまよえるオランダ人   指揮フリーデマン・レイヤー
2008年5月7日  R・シュトラウス  影のない女    指揮アクセル・コーバー
 
 
演出家は両日とも同じ人で、グレゴール・ホレス。出演歌手は上記のとおりほぼ全員が劇場専属歌手であった。少なくとも私が知っているような国際的な知名度を持つ歌手はいなかった。
 
 歌手たちは大変だ、と書いたが、この連日の公演で、6日にオランダ人、ゼンタ、ダーラントを歌った人は、翌日もそれぞれバラックバラックの妻、バラックの兄弟として出演していた。体力的にも声帯にも相当過酷なはずであるが、ひょっとすると「劇場専属アンサンブルとはそういうもの、それをこなして当たり前」という自覚と誇りを持っているのかもしれない。
 
 劇場を訪れる観客にとっても、こうしたシステムは出演者をよりいっそう身近に感じさせ、愛着を感じる要素につながる。観客はほとんど地元の人。「我が街の、我が劇場のファミリー歌手」という親近感を大いに抱かせていることだろう。カーテンコールでの出演者に対する暖かい拍手が、それを物語っていた。
 
 6日のオランダ人にしても、7日の影のない女にしても、上演の質はしっかり確保されていて、音楽的にも不満はなかった。最高の歌手や指揮者などによる最高のレベルを基準にして、比べて物足りなさを述べることには何の意味もない。ここはウィーンでもミュンヘンでもない。それをきちんと理解した上で、今回わざわざマンハイムにやってきたのだ。