クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

藤村実穂子

言うまでもなく、世界的なメゾ・ソプラノ歌手。
バイロイト音楽祭に9年連続で出演した輝かしい実績を誇り、ウィーンやミュンヘンといった一流歌劇場から出演オファーを受けるワールドクラスの歌手。彼女を紹介するのに、もはや「日本最高の」だとか「日本を代表する」だとか、いちいち日本人であることを強調させる必要も意味もない。日本という小さな枠に収まらない、収めてはいけない、それくらい群を抜いた存在だ。

と言っておきながら、やはり日本という枠組みでもう少し考えてみたい。
かつてこれほどまでに世界的な地位を築いた日本人歌手がいただろうか。

これまでにも海外で活躍した(あるいは今も活躍している)歌手はいた。バイロイト音楽祭ウィーン国立歌劇場に出演したことがある歌手もいた。ウィーン国立歌劇場バイエルン州立歌劇場の専属歌手として、レパートリー公演を支えた歌手もいた。
だが、世界に冠たる一流歌劇場と継続的にソリスト契約を交わして重要な役を担い、あるいはソロ歌手として世界的なオーケストラと頻繁に共演するような歌手は、日本のクラシック史において誰もいなかったのではないか。
日本人の特権だけで「蝶々夫人」というおいしい役をいただくのとは、わけが違うのである。
そういう輩の中には、箔を付けようとしてプロフィールにわざわざ「ドイツ在住」「イタリア在住」などと書く人が今も昔もたくさんいるが(アホくさ)、藤村さんクラスとなると、そんな箔付けの誇張もまったく不要というわけ。


私が初めて彼女を知った、というか、その名前を見つけたのは、2001年。
バイエルン州立歌劇場の来日公演キャストの中に、その名はあった。
なんと、「フィガロの結婚」のマルツェリーナだった。
ワーグナーではなく、モーツァルトの脇役だったというのが、面白い。いかにも「まだ駆出しの頃でした」みたいな新鮮さである。
案の定、この時の彼女の印象は薄い。マルツェリーナだし・・。
それに日本公演向けに日本人をくっ付けて共演させるというのはよくある話なので、当時、「彼女も所詮はそんなところだろう」なんて思ったのだ。

ところが、彼女は正真正銘の本物だった。翌2002年から破竹の快進撃が始まる。
いきなりバイロイト音楽祭デビュー。
しかも、「ラインの娘たち」でも「ワルキューレたち」でも「ノルン」でもなく、重要な「フリッカ」ときた。
「いきなり」と書いたが、ミュンヘンでの研鑽中にバイロイトでの声楽コンクールに入賞し、既にアンダー(控え)として音楽祭に招かれていた。しっかりと実力は見込まれていたわけだ。

そこから9年連続で出演を果たしたことは、上に書いたとおり。
最後の9回目となる2010年リング(C・ティーレマン指揮)は、私の記念すべきバイロイト初参戦と重なった。彼女の勇姿(フリッカ)を目の当たりにすることが出来たのは幸いだった。

私が海外で彼女の出演オペラを観たのは、このバイロイトの他にあと2回。
2006年11月バイエルン州立歌劇場「ラインの黄金」のフリッカ(P・シュナイダー指揮)、2008年12月ウィーン国立歌劇場「神々の黄昏」のワルトラウテ(F・W・メスト指揮)。
特にウィーン国立歌劇場の「黄昏」は、メストが音楽監督として新演出に臨んだ重要なチクルス公演であり、「この舞台に日本人が立っているって、マジすげえよな」と感嘆したことを覚えている。


活躍の舞台が世界になっているにも関わらず、事あるごとに日本に戻って歌ってくれているのは、日本のファンにとって嬉しいことだ。
2011年4月の東日本大震災後のメータ指揮N響「第9」公演では、無報酬で駆けつけてくれたと聞く。新国立劇場にもたびたび出演。

ここ最近は、特に大野和士との共演回数が積み重なっている。
昨年は東京・春・音楽祭の「グレの歌」で共演したし、先日の「アルト・ラプソディ」、来月の「ワルキューレ」。4月以降も都響と「大地の歌」、ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」などが予定されており、どうやら強固な絆が結ばれたようだ。

私なんかは「まだまだ、もっと世界の舞台で活躍してほしい」などと思ってしまうが、彼女の中では、祖国の日本は今もこれからも特別な場所であり続けるということなのだろう。

残念ながら新国立のワルキューレは私はパスすることにしてしまったが、彼女が出演する公演はこれからもできるだけ足を運びたいと思う。
不世出の歌手ですから。