指揮 ズービン・メータ
合唱 東京オペラシンガーズ
これほどまでに襟を正して真正面から音楽に向き合ったのは、いったいいつ以来だろう?
これほどまでに聴衆が高い集中力を維持し、一音一音に耳を傾けた演奏会に足を運んだのは、いったいいつ以来だろう?
今回の震災で、被災された東北の方々はもちろんだが、全ての日本人が心に深い傷を負った。被災者のために、失われた命のために、そして自らの心の傷を癒すために、何か祈りを捧げる機会が欲しかった。
私の隣席のお方は、もう最初のバッハのアリアから肩を震わせ、目にハンカチを当てていた。お隣りの方だけではない。私を含め、多くの方がベートーヴェンの音楽にすがり、救いを求めた。そして、多くの方がこの人類の偉大な遺産から希望の光を見出して、熱い涙を流した。
世界的指揮者ズービン・メータ氏が、この一公演だけのためにわざわざ駆けつけてくれた。氏は、音楽が人々の気持ちを上向かせるパワーを持っていることを知っていた。自分にはそれが出来るという絶対的な自信があった。そして、それこそが自分の使命なのだと自覚した。なんという偉大な芸術家であろうか。我々はこの恩を忘れない。観客の感謝の気持ちが込められた総立ちによるカーテンコールが延々と続いた。
N響も、こんなにも気合が入った演奏は近年稀に見るものだった。
公演の前に、「奇跡の演奏を期待する」と私は記事で書いた。
奇跡の演奏だったかどうかは、正直、よく分からない。
だが、人々の思いがこれだけ一つにまとまったコンサートは、そうはあるまい。だとすれば、それはある意味において奇跡と呼ぶに相応しいのではないだろうか。
私はこのコンサートをきっと忘れないだろう。これからも第9を聴く機会は数多くあるだろうが、そのたびにこのコンサートを思い出すことだろう。