2022年6月28日 エリーナ・ガランチャ リサイタル すみだトリフォニーホール
エリーナ・ガランチャ(メゾ・ソプラノ)、マルコム・マルティノー(ピアノ)
ブラームス 歌曲集
ラフマニノフ 歌曲集
ベルリオーズ ファウストの劫罰より 燃える恋の思いに
サン・サーンス サムソンとデリラより あなたの声で心は開く
チャイコフスキー オルレアンの少女より さようなら故郷の丘
他 サルスエラなど
ガランチャ、およそ20年ぶり2回目の来日。
まだたったの2回しか来日していないのだねぇ・・・。世界的なメゾ歌手だというのに、日本のオペラファンは、日本でその舞台を拝む機会がほとんど無い。日本は所詮その程度のオペラ文化なのだ。悲しいねえ。
初来日となった2003年の新国立劇場「ホフマン物語」、ニクラウス役で登場した彼女をはっきりと覚えている人は、はたしてどれだけいるのだろう。そういう意味でも、多くの人にとって今回の来日は待望だったはず。コロナのせいで当初の予定から2年延びてしまったが、ようやく日本のステージに現れたディーヴァは、実に神々しく、眩かった。
魅せられたのは歌声だけはない。表情、仕草、その麗しい御姿に観客は惹き付けられ、夢中になり、酔いしれる。世界一流の歌手だけに具わるエレガントな佇まいだ。
指揮者やピアニストなどにも、一流ならではの存在感というのはある。
そんな中でも、歌手が醸し出す華やかな雰囲気は別格であろう。トップ歌手だけが放つオーラ。ガランチャもまた、そうしたものをプンプンと漂わせ、客席に芳香を放っている。なんという優雅さ。
一方で、ガランチャの場合、そうした美麗さを形容するだけでは収まらない。彼女には更にインテリジェンス、聡明さが備わっている。これは、2019年12月、ベルリン州立歌劇場で上演された「サムソンとデリラ」を鑑賞した時も感じ取ったことで、当時の鑑賞記ブログにも書いていた。
https://sanji0513.hatenablog.com/entry/2019/12/11/094304
私が思うに、役、言語、歌詞を完全に掴んでいるからだろう。
今回のプログラムに並べられた作品は、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語など多岐にわたっているが、すべてが身体に染み付いている。発声だけでなく抑揚表現も含め、言葉の操縦が完璧。だから、異なる言語の作品でも、唄い回しのニュアンスを瞬時に切り替えることが出来る。しかも、ごく自然に。これが実に鮮やかなのだ。
既存のプログラム終了後、カルメンのハバネラなどアンコール曲もたくさん歌ってくれて、大いに楽しませてくれたガランチャ。
素晴らしい時間を堪能しつつ、またムラムラと欲望が湧いてくる。
「早く海外に行って、また彼女が出演するオペラを観たい!」
それが出来そうな日々の到来はもうすぐ、そろそろ近いのでは、と感じる今日このごろ。そんな気配がある。
それまでの間は、もうしばらく辛抱。我慢我慢。