2022年7月1日 東京都交響楽団 サントリーホール
指揮 クラウス・マケラ
マーラー 交響曲第6番 悲劇的
都響の顔である二人のコンサートマスター、矢部達哉と四方恭子の両氏。その二人がツートップを組み、凄まじいほどの迫力でオーケストラを牽引している姿を見て、思わず熱いものが込み上げてきた。
定評ある都響のマーラー。ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバルらと紡いできた伝統の誇示。
マーラーの本質や核心に触れ、自分たちのマーラー演奏に絶対的な自信を持つ彼らが、本気で、ガチで、26歳の俊英指揮者のタクトに食らいついている。
クラウス・マケラは、またしてもオーケストラと聴衆を完全制圧することに成功した。
これ、もしかしたら、2022年、今年の日本クラシック界の最大の事件じゃないか!?
スペクタクル、アグレッシブ、そしてスリリング。
演奏については、この3つの形容がすべてと言っていい。
指揮者が巻き起こす強烈な推進力、圧倒的なスピード感に、目眩を起こしそうな感覚に陥る。
そして、輝かしき絶頂・・・。
あろうことか、『悲劇的』は、未来を展望する一人の若者によって完全に打ち消されてしまった。
熱狂する聴衆の大アプローズを目の当たりにして、私は「そうなんだな、これでいいんだな」と自らに言い聞かせながら、静かに会場を後にした。
実を言うと、本当のことを正直に言うと、このマーラーは個人的には好きじゃない。
マケラのマーラーは、「一直線」であり、「人生の肯定」であり、「希望」だった。
一方で、私は、立ち止まり、絶望に打ちひしがれるマーラーをこよなく愛している。
バーンスタインやテンシュテット、シノーポリなどの演奏から聴こえてくる深い情念と苦悩に惹かれる。
こうしたいにしえの巨匠たちの演奏は、もう古い遺物なのだろうか。
いや・・・。
ただ単に、今、時代が変わろうとしているのだ。マケラの時代がやってくる、そういうことなのだ。
感傷を捨て、この劇的な瞬間に立ち会えたことを喜ぶこととしよう。