2020年12月11日 ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル 東京オペラシティコンサートホール
ベートーヴェン 6つのパガテル、ピアノソナタ第30番、第31番、第32番
この日、午前中いっぱいを広島で過ごした後、新幹線で東京にリターン。自宅に帰らず、その足で初台に向かう。
読響、広響に続くコンサート三連チャン。しかも、間に一泊の遠征旅行付き。
海外への鑑賞旅行がすっかりお預けとなっている中、久しぶりに「それらしい」気分を味わさせていただいた。「第三波が到来している最中に何を戯れているのか」とのお叱りの向きがあるかもしれない。その点については謝る。どうもすみません。
ゲルハルト・オピッツ。彼もまた、2週間の隔離を受け入れての来日だ。
もっとも、噂によれば、日本人の奥様がいらっしゃって、日本に家があるらしいのだが、そこらへんはよく知らない。
音楽はとにかく自然体で、優しい。肩肘を張らず、見せかけを大きくしようとせず、人間味溢れるピアノで、飾らない等身大のベートーヴェンが聴き手の心を癒やしてくれる。少し枯れた感じもするが、そこらへんもオピッツらしくて良い。
ピアニストがリサイタルでベートーヴェンの「最後の3つのソナタ」を採り上げる時、解釈として、32番をピークに持っていくために一連の流れを作り、それに向かって盛り上げていく、みたいなやり方を時々見かける。
ところがオピッツの場合、そうした一連性が感じられない。あくまでも一つ一つのソナタに向き合っているように聞こえる。
32番もそうだ。
いかにもベートーヴェンらしく第1楽章を「勇ましく立ち向かう壮健期」、第2楽章を「人生を振り返る終焉期」みたいに仕立て、起承転結の表現を試みようとするやり方を時々見かける。
オピッツは、ここでもそうしたドラマを語ろうとしない。解釈によってストーリーを作るのではなく、作品のありのままを再現しようとしているように聞こえる。
それがオピッツのベートーヴェンであり、オピッツというピアニストの流儀ということなのかもしれない。
彼はヴィルヘルム・ケンプの薫陶を受けた一人だという。
果たして彼の演奏にどれくらいケンプの影響が残っているのか、それははっきり言ってよく分からない。
それでも、「もしかしたら、ケンプってこういう演奏をしていたのかな」と思わず想像してしまう。そんな佇まいを感じる、オピッツのピアニズムであった。