2022年11月19日 イゴール・レヴィット ピアノリサイタル 紀尾井ホール
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第5番、第19番、第20番、第22番、第23番「熱情」
コロナによる延期を経た上で開催されたレヴィットのベートーヴェン・ソナタプロジェクト。2年間全4回のシリーズで、そのうちの2回が18日と19日の連日で行われた。二日目だけを聴いたが、できれば両日とも行きたかった。
日本における知名度では、ツィメルマン、キーシン、内田光子、シフなどといった名匠に肩を並べるには至っていないが、レヴィットは紛れもなく名ピアニストである。私自身、これまでに3回しか実演に接しておらず、それだけで断言するのは若干憚りがあるが、天賦の才能を授かっているピアニストだと思っている。いわゆる「天才」ってやつだ。
そのように確信したのは、前回の来日リサイタルで、演奏家が「弾く」「奏でる」といった技術的な演奏行為の様相がまったく伺えず、作品自体が自発的に鳴っているかのような音楽創造の境地に至る感覚を捉えたからである。名匠の演奏に接すると、時々、時空を越えた宇宙が広がるような光景が見えることがあるが、まさにそうした稀有の体験だった。これは本当に衝撃だった。
あの興奮をもう一度味わいたい、レヴィットならまたやってくれる。そう思って会場に入ったのだが・・・結果は少々思い描いていたものと違い、それはそれで驚いた。
今回の演奏、意外であったが、そこにレヴィットという演奏者の解釈や洞察が伝わってきたのである。
具体的に言うと、スコアを解析した結果だと思うが、明らかに意図的と言えるテンポや強弱の動きがあったのだ。
「うーむ・・」と唸り、そして黙考する。
ベートーヴェンがそうさせたのだろうか。ベートーヴェンのソナタを演奏するというのは、そういうことなのだろうか。
あるいは・・・もしかしたら、単純に当たり前のこと、当然のことなのかもしれない。
作品が異なる。時間が経過し、演奏家としての成長や成熟度、立ち位置も変わってくる。新たな発見が見つかることもある。社会や身の回りの状況変化が影響を及ぼすこともある。
そして、我々聴き手だって、その時々によって感じ方が違うのだ。
だとすれば、それはそれで楽しみが増してくる。
次の手は何か。どんな変化を見せてくれるのか。別の作曲家、別の作品をどう解釈するのか。
レヴィットは天才だ。今回の演奏を聴いても、その考えはいささかも変わらない。
でも、まだ完成されていない。可能性、まだ秘めているものがある。
ならば、私がやるべきことはただ一つ。これからも彼を追っかける。それだけだ。