クラシック、オペラの粋を極める!

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2014/12/30 ルイーザ・ミラー

2014年12月30日  チューリヒ歌劇場
ヴェルディ  ルイーザ・ミラー
指揮  カルロ・リッツィ
演出  ダミアーノ・ミキエレット
エレーナ・モシュク(ルイーザ)、レオ・ヌッチ(ミラー)、イヴァン・マグリ(ロドルフォ)、ヴィタリー・コヴァリョフ(ヴァルテル伯爵)、ウェンウェイ・チャン(ヴルム)、ユディット・シュミット(フェデリーカ)   他
 
 
 前日に鑑賞したドン・パスクワーレについて「日本で上演される機会がほとんど無い演目」と記したが、このルイーザ・ミラーもまたしかりだろう。いったいこれまで日本で何度上演されたというのか。私も2005年ナポリサンカルロ歌劇場来日公演の一度だけだ。みんなそうじゃないか?
 
ヴェルディだぜ、おい。ブゾーニとかパイジェッロとかのオペラじゃないんだぜ、おい。
といった文句の一つはとりあえずさておき・・・。
 
やはり今回の公演は、‘ザ・レジェンド’レオ・ヌッチ出演と、気鋭の演出家ミキエレットの舞台が最大の注目と言っていいだろう。
 
まずはそのミキエレットの舞台について。
 
演出家はこの悲劇の根幹にあるものの探索を試みた。そして見つけた事があった。
彼の目に見えた物、それは「父の子に対する思慕」、それから「思惑どおりにいかない運命の苦渋」であった。
 
 この物語には二人の「父」が登場する。ルイーザの父ミラー、そしてロドルフォの父ヴァルテルである。ミキエレットがまずスポットを当てたのは、若い恋人たちではなく、この二人だ。
 身分や経歴こそ違えど、我が子を愛する父親の情は共通している。子供の頃は可愛かった。目に入れても痛くない我が子を父は溺愛した。この子の幸せのためなら何でもしようと誓った。あの頃は素敵な日々だった・・・。
 
 年月が経ち、子供が成長しても、父の子に対する目は変わらない。我が子の面影は、幼くて従順で可愛かった子供の頃でストップしたまま。
 だが子供は大人になり、自立心が芽生え、ついに自ら選んだ婚約者を連れてくる。その事は父にとって完全な思惑外だが、若い二人は言うことを聞かない。
「なぜだ? どうしてだ? あれだけ素直だったのに・・・」
今、自分の思うままにならない現実とのギャップをひしひしと感じ、忸怩たる思いに苛まれている。
 
これがミキエレットの見つけたポイントであり、悲劇に向かうスタート地点だ。
 
 このギャップを描くために、それを目に見える形にするために、舞台上に二人の子供の黙役を登場させた。小さな男の子と女の子。もちろん幼少期のロドルフォとルイーザで、父の思い出の中にいるイメージ像だ。こうすることで、観ている人たちの理解を手助けするだけでなく、とりわけ子供を育てた経験のある世代の共感を呼び込む効果も生じさせる。
 
 この演出家がさすがだと思うのは、こうした苦渋を二人の父だけに当てはめるのではなく、更に広げて登場人物全体に関わるテーマにまで発展させていることだ。
 
 自分の思いのままにならない現実とのギャップを感じ、忸怩たる思いに苛まれているのは、実はミラーやヴァルテルだけではない。改めて物語を見てみると、登場人物全員がそうした苦悩を抱えていることが分かる。ミラーの下士官ヴルムしかり、フェデリーカ公爵夫人しかり。ミキエレットはこうした事実を見逃さない。この二人には、特に悔しくて仕方がないという煮えたぎるかのような演技を施していた。
 
 人間関係の中で渦巻く一方通行の思い、交錯した気持ち、それぞれの立ち位置、思惑の行末、そして運命の歯車・・・こうした模様を舞台上で描写するために、巧みに回り舞台を使い、壁を使い、映像を使いながら、じわじわと悲劇の結末へと導いていく。こうした手法はとにかく見事の一言。天才演出家の面目躍如であった。
 
 
もう一つの注目、‘ザ・レジェンド’ヌッチ。
もう何と言いましょうか・・・彼は神ですよ、神。
 
 近年、年齢を重ねたことで、父親の哀れさを演じる役において特に凄味を増している。リゴレット、フォスカリ、ナブッコ、そしてこのミラー・・・。
 おそらく現役の歌手で、役に対してこれほどの同情と共感を覚えさせる歌手はいないだろう。歌を通して人間の感情、心の動きを観客に届ける。ヌッチはそれが出来る歌手だ。そして、ヌッチにしか出来ない芸当だ。
 10年後、我々はヌッチがいないヴェルディのオペラを聴いて「何かが足りない」と嘆くことになる。一方で「あの時、ヌッチを聴いたんだよな」と少し満足気に回想することになる。
 
 
 それ以外の歌手では、ルイーザ役のモシュクも安定した歌唱で熱演。ヌッチとのコンビは絶品だが、これはスカラ座来日公演のリゴレットで既にその相性の良さを証明済である。
 
 ロドルフォ役だが、シーズンプログラムが発表された時点ではファビオ・サルトーリだったが、マグリという歌手に変更になった。イヴァンという名前がらしくないが、イタリア人だって。若くてなかなかカッコイイ。「どんなもんじゃい」みたいな感じで聴いていたのだが、終盤に向けてどんどんと熱くなって、自らも毒を飲みながらルイーザに迫る時の歌と演技にはグッと来た。カーテンコールでも結構拍手もらっていた。これから人気出てくるかもね。