クラシック、オペラの粋を極める!

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2013/10/13 ドン・カルロ

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2013年10月13日  ウィーン国立歌劇場
ヴェルディ  ドン・カルロ(イタリア語4幕版)
指揮  フランツ・ウェルザー・メスト
演出  ダニエレ・アバド
フェルッチョ・フルラネット(フィリッポ2世)、ラモン・ヴァルガスドン・カルロ)、ルドヴィク・テジエ(ロドリーゴ)、エリック・ハーフヴァーソン(宗教裁判長)、タマール・イヴェーリ(エリザベッタ)、ヴィオレッタ・ウルマーナ(エボリ姫)   他
 
 
 ドン・カルロは難しいオペラだと思う。
 このオペラを上演するにあたっては、優秀なソロ歌手を揃える必要があるとよく言われる。一人や二人ならいざ知らず、主要キャスト5、6人すべてに定評のある優れた歌手を揃えなければならないのは、確かに劇場にとって悩みどころだろう。
 
 だが、私が「難しい」と考えるのはそこではない。
 このオペラには、むしろ優秀な歌手が揃えば揃うほど陥ってしまう落とし穴が存在するような気がしてならないのだ。
 
 どういうことかというと、登場する役のキャラクターが際立っていること、幕や場の数が多いこと、各場ごとに聴かせどころとなるアリアや重唱が配置されていることから、ややもすると主要キャストによる顔見世興行、各歌手の持ち歌勝負によるガラ・コンサートみたいになってしまうのである。
 このため、鑑賞した人の感想が、単に「エボリを歌った○○が良かった」「フィリッポを歌った○○が良かった」で終わってしまうことが多い。これこそが落とし穴であり、このオペラの難しいところだと考える次第。
 
 優秀な指揮者が必要だ。求心力があり、音楽的に大きな流れを作り出すことが出来る強力な指揮者が。歌手の出来につい目が行ってしまうオペラだからこそ、指揮者の力量がクローズアップされるのだ。
 
 改めてそのような思いに及んだのは、ウィーン国立歌劇場音楽監督であるF・W・メストが、実に見事な音楽を聴かせてくれたからである。
 
 上記のとおり、キャストは「さすがウィーン」と言わんばかりの綺羅星揃い。エリザベッタが急遽A・ハルテロスからイヴェーリに替わったが、レベルは決して下がることはない。どの歌手もそれぞれのアリアでは大見得を切るかのごとく立派な歌声を聴かせ、客席を沸かせていた。
 
 それでもこの日の立役者は、私は指揮者だったと思うのだ。
 
 日本語字幕がないため、物語や言葉を目で追わなかったのが結果的にそのような印象をもたらしたのかもしれない。だが、音楽が雄弁に語っていたのは間違いない。音楽がドラマとなり、一つの壮大な絵巻物を作っていた。
 
 メストの音楽は、声のバランス、歌手に対するオーケストラの寄り添い、フレーズ処理などに常に一貫性を持たせていた。これにより全体の統一性が保たれた。
 また、音楽的なピークへの持って行き方が秀逸で、先を見通し、クライマックスを提示し、そこに向かっていく流れを作り出していた。ここぞという場面でのオーケストラの煽り方も熱い。
 
 今回のプロダクションは再演だが、プレミエはわずか1年半前の2012年6月。もちろんメストの指揮によるものだった。念入りに研究し、しっかり叩き込んで一から作り上げたのだろう。そして今回、そのプレミエから歌手が大幅にチェンジした分、余計にメスト主導が際立ったということなのかもしれない。
 
 
 全体の音楽の出来が素晴らしかったので感想としてはそれで終わりにし、ソロ歌手を個別に評価していくのはやめるつもりだが、聴衆を唸らせ最大級の喝采を得ていたのは、やはりと言うか、フルラネットとウルマーナの二人。
 
 個人的に感慨深いのは、今から16年前の1997年9月に同じくウィーンでドン・カルロを鑑賞したのだが、その時もこの二人が出演していたということ。あの時も二人は素晴らしい歌唱だったという記憶が鮮明に残っている。16年経った今も、二人は同役における第一人者の座を譲っていない。これは、なんだかとても喜ばしい。