2009年2月4日 シカゴ交響楽団 サントリーホール
指揮 ベルナルド・ハイティンク
モーツァルト 交響曲第41番ジュピター
R・シュトラウス 英雄の生涯
その昔(1990年なのでかれこれ20年くらい前になる)、ショルティ・シカゴ響のサントリーH公演で、ベートーヴェンの運命と展覧会の絵を聴いた時、「まるで小錦(当時)に張り倒され、吹っ飛ばされたかのような」衝撃を受けたことを今でも鮮烈に記憶している。それくらい音がでかく、きらびやかで、スケールが大きかった。各ソロ奏者達のスーパーテクニックにただただ圧倒された。
その後、バレンボイムとの来日公演では、華麗なるサウンドがやや影を潜めたかのような印象だった。果たして今回は??
1曲目、ジュピター。
以外とオーソドックスなモーツァルト。聴いていながら、頭の中に色が浮かんだ。かつては金だったが、なぜか「茶色」だった。しかも木目ではなく、土の色。派手さは鳴りを潜め、暖かくて包み込むような包容力を感じた。とても良かったが、やはりかつてのシカゴ響のサウンドとはずいぶん違うような気がして、感動半分とまどい半分だった。奏者もかなり若返っているし、他のアメリカのオケと同様に東洋系が増えている。やはり時代とともに変化しているのか??
2曲目、英雄の生涯。
一転して様相が変わった。みなぎるパワー、ダイナミックな音、華麗なテクニック。うまい!やはりシカゴはシカゴだった!これでもかとばかりの音の洪水にあっという間に飲み込まれた。本当のことを言うとウィーンやベルリンなど欧州系のしっとりとした味わい深いシュトラウスの方が好きだが、きっと天国のシュトラウス自身は「いいんじゃないの?」と笑っているに違いない。
1曲目と2曲目で、スタイルだけでなくサウンドも変化させたシカゴ響。変幻自在の適応力を示したということだろう。
指揮者のハイティンクは、オケに対して「ああせい、こうせい」といちいち指示を出すのではなく、「自分の感じるがままに棒をふるから、皆さんもどうかそれを感じて音を出してくれ」と、もっぱらスコアに専念し没頭している感じだ。職人指揮者。どちらかといえば地味かもしれないが、いないと寂しい、是非居て欲しい貴重稀少な指揮者だと思う。
さて、シカゴ響はいよいよマエストロムーティの時代を迎えようとしている。ショルティ、バレンボイム、そしてハイティンクと、それぞれの指揮者に応じた素晴らしい演奏を聴かせてきた。今度はどんな演奏をしてくれるのか。とにかく、次の来日公演を首を長くして待ちましょう。