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2019/4/27、28 二期会 エロディアード

2019年4月27日、28日   二期会 コンチェルタンテシリーズ  オーチャードホール
マスネ   エロディアード(セミ・ステージ形式上演)
4月27日
城宏憲(ジャン)、小森輝彦(エロデ)、妻屋秀和(ファニュエル)、小林啓倫(ヴィテリウス)、高橋絵理(サロメ)、板波利加(エロディアード)   他
4月28日
渡邉公威(ジャン)、桝貴志(エロデ)、北川辰彦(ファニュエル)、薮内俊弥(ヴィテリウス)、國光ともこ(サロメ)、池田香織(エロディアード)   他
 
 
コンチェルタンテということだったが、上演の形式としては、望みうる最良の物であった。
こういう形式の中で一番つまらないのが、指揮者の前方両脇に譜面台がズラッと並び、ソロ歌手が楽譜を見ながら棒立ちで歌って披露するやり方。この場合、音楽はじっくり聴くことができるが、ドラマの展開が乏しくなり、舞台性を欠いて、オペラらしさを失う。
 
今回の上演は、オーケストラの後方にセミ・ステージを設置。歌手は暗譜し、身振りを交えて歌った。舞台装置の代わりに背景に映像を使用し、照明も駆使。これで舞台性が備わった。完全なオペラではないが、かなりそれに近い。
また、人によっては、演出家の独りよがりな解釈に困惑することがないため、純粋に物語を楽しむことが出来たに違いない。
 
そういう意味で、このやり方は十分に成功したと言えるだろう。
 
何人かの歌手は、動きが固く、大根演技で、正面向いていかにも類型的に片手あるいは両手をかざしながら朗々と歌っていた。これが演出付上演だったら完全なツッコミどころなのだが、「いやいや、コンチェルタンテですからね」と、見事にかわされてしまう。なかなかうまく出来ているじゃないか(笑)
 
プログラムには、コンチェルタンテ“シリーズ”とある。
ということは、このやり方を確立させ、継続させるということだろうか。
実際、来年4月に再びコンチェルタンテによる「サムソンとデリラ」が予定されている。
 
歌手について。
今回両日両キャストを聴いたが、二日目のエロディアード役を歌った池田さんには十分満足した。セリフが彼女の中できちんと消化され、心情と共に音楽にピタリと当てはめている。演技も凄みがあって、素晴らしかった。
他にも立派に役をこなした人はもちろんいたが、全体としては、いわゆる日本人という枠の中で「大変よく出来ました」レベル。
なんだか嫌味ったらしくて、いかにも海外かぶれみたいな言い方。
でもね。
別に、ウィーンやメト、ミュンヘンなどの一流劇場を基準にして見下しているわけではなく、欧州の中小ローカル劇場にも頻繁に足を運び、本場の底力を体感している私の偽らざる率直な感想だ。申し訳ないけど。
 
指揮者プラッソンについて。
さすがにちょっと年を取ったなという印象だ。マスネの音楽の美しい香りは伝わってくるが、その香りはマスネの作品そのものから沸き立ち、漂っている。
果たしてプラッソンは、今回、どれほど音楽を作り、スコアの中からその魅力を引き出したのだろうか。
良い車に乗って、運転をした。ハンドルを切り、アクセルを踏み、ブレーキを踏むという操作はした。
だが、そうした運転によって車の特色や性能をどのように見せつけたのかは、はっきり言ってよく分からない。
 
結局私自身が2回の公演で満喫したのは、ひたすらマスネの作品だった。
別にそれでもいいと思うし、鑑賞の後、作品そのものに思いを寄せることが出来たというのは、ある意味指揮者の功績とも言えるので、一概に否定はしないが。
 
演奏云々より、どうしても言及しなければならないこと。
「エロディアード」というなかなか上演されない作品を採り上げてくれて、本当にありがとう。
まさか日本で聴く機会があるとは思わなかった。
で、おそらく日本ではもう二度とないだろう。
残念だが。
とにかく感謝だ。