クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2018/12/8 ポゴレリッチ ピアノリサイタル

2018年12月8日   イーヴォ・ポゴレリチ ピアノリサイタル   サントリーホール
リスト  ピアノ・ソナタ ロ短調
シューマン  交響的練習曲(遺作変奏付)
 
 
会場に入ると、ステージには開演前だというのに、本日のピアニストがピアノを奏でている。
本番に向け、最終確認をしているのかなと普通は思うだろう。だが、練習、あるいは指慣らしをしているようにはあまり見えない。弱音で、静かに、淡々と、黙々と、ポゴレリッチはピアノを弾いている。
真意は分からないが、本番を前にして、精神統一をしているように見える。
ピアノを通じて心を落ち着かせるための瞑想をしているようにも見える。
 
いつからこうしたことを行うようになったのだろう。
30年も前から彼の公演に足を運んでいるが、明確にいつからという記憶はなく、いつの間にか習慣になっていることに気付いた。
 
ふと思う。
もしかすると、自分のためにやっているのではないのかもしれない。
むしろ、我々聴衆を自らのピアニズムの世界に招き入れるため、そのイントロダクションを行っているのかもしれない。
それならそれで、合点がいく。
なぜなら、ポゴレリッチのピアノを聴くのなら、われわれ聴衆の方こそ心の準備を整える必要があるからだ。
 
アルゲリッチの名言のとおり、ポゴレリッチは天才だ。
だが、天才であると同時に、異才であり、鬼才であり、奇才である。
ポゴレリッチの演奏に、美しい装飾を求めてはならない。至福の安らぎを求めてはならない。
ポゴレリッチの演奏から聞こえてくるのは、作曲家の狂気の叫びであり、時に目を背けたくなるような人間の本性そのものである。
それを真正面から受け止めることが出来る者だけが、彼の音楽の真髄を理解するのだ。
 
よく言われるテンポの遅さについても、それを「遅ぇ~!」と思いながら聴いている時点で、悪いけどアウトだ。
ポゴレリッチの演奏は、作品の本質の探求の結果、テンポや強弱を超越してしまうからだ。彼は、テンポや強弱といった縛りに囚われていては決して見えない物を、浮き彫りにしているのである。それを聞き逃してはならない。
 
ポゴレリッチの演奏に心酔している私は、彼の演奏を「遅い」「長い」と感じない。作曲家の狂気の叫びや、人間の本性の剥き出しをひたすら感性で捉え、終わってみたら時間が経っている。
 
昨日も、終演後、時計を見たら午後9時半で、もうそんな時間になっていたのかとびっくりした。
思わず「遅ぇ~! 長ぇ~!」と呟いてしまったが、これはあくまでも演奏が終わり、会場の外に出て外界の空気を吸い、平常の空間に戻って思ったことなので、そこんとこはよろしく。