2020年3月19日 アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル 東京オペラシティホール
シューマン 精霊の主題による変奏曲
ブラームス ピアノのための6つの小品、4つの小品、3つの間奏曲
モーツァルト ロンド イ短調
バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻より 第24番
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第26番 告別
チケットを買った時は、まさか本公演がこんなにも特別なものになるとは、夢にも思わなかった。
予定していたコンサートが次々と中止に追い込まれ、自分のスケジュールに穴がどんどんと空いていく。そんな世間全体が自粛ムードに陥る中、敢えて実施を決行させたリサイタル。
そこには、主催者と演奏者の双方に、「この困難に立ち向かい、打ち勝とう」という強い決意が存在したはずだ。(営業的な損得はこの際別にして)
会場には多くのお客さんが集った。
彼らは(私も含め)、決して能天気風に誘われて足を運んだわけではない。
主催者側は、感染予防として出来る限りの対策を会場にて施し、上演実現にこぎ着けた。
私達もまた、マスクを着用し、手洗いやアルコール消毒をし、咳エチケットに注意を払いながら、意を決して会場に向かった。
「困難に立ち向かい、打ち勝ちたい」と願ったのは、我々だって同じ。
更には「こういう状況だからこそ音楽が必要だし、私達は音楽と共に有りたいのだ!」という愛好家の断固たる意思表明でもあったのだ。
聴衆は、乾いたスポンジのような状態で、演奏を待った。
そこに、シフの瑞々しい音楽が浸り、少しずつ潤いを取り戻していく。
ブラームスのピアノ作品は、こんなにも耽美で、瞑想的だったのか。
モーツァルトの小品は、こんなにも物哀しかったのか。
ベートーヴェンのソナタは、こんなにも普遍的だったのか。
こういう状況だからこそ、感じることがある。
一音一音を噛みしめるからこそ、気付くことがある。
演奏者がアンドラーシュ・シフだったというのは幸運だ。
彼の演奏には、押し付けがましさが無い。演奏を聴かせようとするのではなく、音楽を聴かせようとする。
この日の聴衆は、おそらく沢山のことを受け止め、思いを巡らしたことと思う。
誰もが実感したのは、音楽が持つパワーであろう。我々はまさにそれを受け取るために会場に駆け付けたのだ。