クラシック、オペラの粋を極める!

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2018/11/13 サンクト・ペテルブルクフィル

2018年11月13日   サンクト・ペテルブルクフィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮  ニコライ・アレクセーエフ
合唱  東京音楽大学合唱団
ニコライ・ブロフ(語り)
プロコフィエフ   オラトリオ イワン雷帝
 
 
過去に2度アレクセーエフ指揮による公演を聴いているが、いずれも記憶が薄れていて、どんな指揮だったのか覚えていない。
改めて彼のタクトを見て、その理由が分かった。地味なのだ。
派手なアクションは皆無。棒を持たない手で淡々と拍子を取り、合図を送る。
こんなこと言っちゃ申し訳ないけど、その姿にはオーラも華も無いし、カリスマ性も無いし、色気もない。まさに副指揮者の典型タイプなのだ。(ホントごめん)
 
人は見た目の印象に左右される。騙される。だから、出てきた音楽もつまらなそうな印象を持ってしまう。
この日の演奏を聴いて、「面白くないなー」と感じた人は、多分だいたい次の3通りだ。
ということで、指揮者の見た目の印象に左右されてしまった人。
テミルカーノフの降板に気落ちし、「テミルカーノフだったらなあ」という気持ちを拭えない人。
馴染みのない作品に、最後まで馴染めなかった人。
 
私の感想は、「素晴らしかった」で決まり。
テミルの降板は確かに残念だったが、「テミルだったら・・」と考えても仕方がない。だって、比較出来ないんだから。
アレクセーエフのタクトは確かに地味だったが、オーケストラは十分に鳴っていた。各パート群のバランスもいいし、高揚感もカタルシス感もたっぷりあった。
 
もしかしたら、それは名門オーケストラの底力の賜物なのかもしれないし、作品そのものの素晴らしさのせいかもしれない。プロコ大好きな私は、誰が振ろうともきっと満足出来てしまう。
 
でもいいじゃないか。素晴らしかったと思ったのなら、それで。
そして、立派な演奏の手柄をすべて自分の物にしてしまうのが、指揮者なのだ。そういうものなのだ。
 
合唱はよくまとまっていて、好演だった。演奏中、何人かのオーケストラ奏者たちが合唱の方をチラチラ振り向いていたし、カーテンコールの際は、合唱が起立すると、笑顔でつぶやいたり隣の奏者と話し込んだりしていた。
それは間違いなく「合唱、やるねー!」という感嘆だったと思う。