指揮 ニコライ・アレクセーエフ
合唱 東京音楽大学合唱団
ニコライ・ブロフ(語り)
過去に2度アレクセーエフ指揮による公演を聴いているが、いずれも記憶が薄れていて、どんな指揮だったのか覚えていない。
改めて彼のタクトを見て、その理由が分かった。地味なのだ。
派手なアクションは皆無。棒を持たない手で淡々と拍子を取り、合図を送る。
こんなこと言っちゃ申し訳ないけど、その姿にはオーラも華も無いし、カリスマ性も無いし、色気もない。まさに副指揮者の典型タイプなのだ。(ホントごめん)
人は見た目の印象に左右される。騙される。だから、出てきた音楽もつまらなそうな印象を持ってしまう。
この日の演奏を聴いて、「面白くないなー」と感じた人は、多分だいたい次の3通りだ。
ということで、指揮者の見た目の印象に左右されてしまった人。
馴染みのない作品に、最後まで馴染めなかった人。
私の感想は、「素晴らしかった」で決まり。
テミルの降板は確かに残念だったが、「テミルだったら・・」と考えても仕方がない。だって、比較出来ないんだから。
アレクセーエフのタクトは確かに地味だったが、オーケストラは十分に鳴っていた。各パート群のバランスもいいし、高揚感もカタルシス感もたっぷりあった。
もしかしたら、それは名門オーケストラの底力の賜物なのかもしれないし、作品そのものの素晴らしさのせいかもしれない。プロコ大好きな私は、誰が振ろうともきっと満足出来てしまう。
でもいいじゃないか。素晴らしかったと思ったのなら、それで。
そして、立派な演奏の手柄をすべて自分の物にしてしまうのが、指揮者なのだ。そういうものなのだ。
合唱はよくまとまっていて、好演だった。演奏中、何人かのオーケストラ奏者たちが合唱の方をチラチラ振り向いていたし、カーテンコールの際は、合唱が起立すると、笑顔でつぶやいたり隣の奏者と話し込んだりしていた。
それは間違いなく「合唱、やるねー!」という感嘆だったと思う。