クラシック、オペラの粋を極める!

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テミルカーノフ

 5月12日(日)、テミルカーノフが指揮した読響のコンサートに行った。前半がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(pf河村尚子)、メインがチャイコの悲愴というプログラムだった。
 普通ならコンサート鑑賞記として、この日の公演がどうだったのかを書き綴るところである。だが、今そのように書こうと思っても何も思い浮かばない。話題のピアニストがソロを務めたコンチェルトについても何もコメントできない。何か書こうとして頭に思い浮かぶのは、読響からとてつもない響きを引き出していた指揮者テミルカーノフについてだけだ。

 そういうことなので、本日はテミルカーノフと題して書くことにした。

 ムラヴィンスキースヴェトラーノフフェドセーエフコンドラシン、ロジェストヴェンスキー、etc・・・。
 旧ソ連出身の指揮者は、かつては皆「これがロシアの音か」とぶったまげるほどのドスの効いた、太くてデカくて凄みのある音をオーケストラから引き出していた。ゲルギエフもかつてはそういう指揮者だった。それこそが旧ソ連出身の指揮者の持ち味だった。

 時代が変遷し、現在活躍している旧ソ連出身指揮者はどんどんとインターナショナル化し、忙しく世界を駆け巡りながら、かつての持ち味が発揮されなくなっているような気がする。

 そんな中、今なお旧ソ連らしい凄みのある音を引き出せる、ほとんど稀少とも言える生き残り指揮者がテミルカーノフではないかと思う。

 彼が読響を振ると、読響の音が変わる。明らかに変わる。そりゃあもちろんサンクト・ペテルブルクフィルのような音になるかと言えば、そこまではいかない。だが、音楽に変化をつけることは出来ても、オーケストラの音色そのものを劇的に変えることが出来る指揮者なんてほとんどいない。これぞテミルカーノフの特異な能力と言っていいだろう。

 しかも、だ。たいていの指揮者は、タクトを振り、身振りを大きくし、自らの表情、アイコンタクト、呼吸など、あらゆる伝達手段でオーケストラをリードしようとするが、テミルの場合、棒を持たず、コンパクトな手さばきだけで、オーケストラを自由自在に扱うことが出来るのだ。

 そんなわけで、彼がサッと手刀を返すと、大音量とともに、ステージからシベリア荒涼大地の冷たい風が吹き付けてくる。これはすごい。信じられないくらいすごい。

いったい彼はオケに何を施しているのだろう?
何を、どうやって、どうしたら、オケからあの音を引き出せるのだろう?
リハの様子などを知る由もない聴衆からすると、これはもう魔法としか思えない。

私は知りたい。テミルの魔法の正体を。テミルのオーケストラ操縦術を。
以前テミルのコンサート鑑賞記で一度書いたことをもう一度繰り返して書かせていただくが、もし私が指揮者のタマゴで、修行のために世界の指揮者の中から師匠を選び、教えを請うとするならば、誰がなんと言おうと絶対テミルカーノフだ。もちろん、彼が実際に弟子を取っているかどうかなんか知らないが。

 好きな指揮者、才能を高く評価する指揮者はたくさんいる。そんな中、私にとってテミルカーノフは、ひょっとすると尊敬、畏敬の念を抱かずにはいられない唯一の指揮者かもしれない。