クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2018/4/7 コーミッシェオーパー 魔笛

2018年4月7日   ベルリン・コーミッシェ・オーパー   オーチャードホール
指揮  ガブリエル・フェルツ
演出 バリー・コスキー、スザン・アンドレイト、劇団「1927」、ポール・バリット(アニメーション)
アデラ・サハリア(パミーナ)、タンセル・アクセイベク(タミーノ)、クリスティーナ・プリツィ(夜の女王)、シム・インスン(ザラストロ)、ドミニク・ケーインガー(パパゲーノ)   他
 
 
「コーミッシェ・オーパーの看板演目」ということらしい。このプロダクションを引っ提げて世界各地で上演し、どこでも大絶賛されているようだ。
 
なるほど、確かにこれはウケるだろう。
プロジェクションマッピングを使ってのアニメーションを展開し、そこに歌と音楽を当てはめるという手法。
映像を駆使した舞台は別に珍しくないが、実は意外と効果を上げるのが難しい。イメージを映し出すだけでは単なる背景になってしまうし、逆に全面的に押し出せば、映画のように音楽が伴奏や効果音になってしまう。
今回の演出は、成功の部類に入った珍しい事例だと思う。
 
成功の理由はいくつかある。
アニメーションのコンセプトが一貫していること、キャラクターが際立っていること、アクションや展開が多彩で常動的で、飽きさせない工夫を施していること。
何と言っても、単純に面白いというのが一番だ。
夜の女王を巨大クモにしたり、パパゲーノに猫の相棒を付けたり、色々と登場してくる動物や昆虫が機械仕立てのオモチャだったり。アイデアが抜群である。
 
バリー・コスキーの演出上の狙いと着想も、明確だ。
オペラが貴族の嗜みから大衆への娯楽に変遷した過程に着目し、映写機による映像メディアが新たな娯楽として一般市民に浸透した1920年代の無声映画に重ね合わせたのだ。
魔笛という物語にファンタジーを見出し、これを「娯楽」と捉え、新たなメディアを興味津々で見入った当時の一般人のスタイルを、現代の劇場に置き換えたわけである。
そこには、「オペラは娯楽であり、常に大衆の物」「人々の関心が多様化する中、舞台芸術は今もなお大衆の中に息づく」といったメッセージが込められている。
 
出演する歌手たちは、結構大変だっただろう。
映像に合わせなければならず、動きが制限されてしまう。二次元の世界に当てはめられる制約上、回転扉で登場する足元のスペースはほとんどないため、怖さも伴うに違いない。
そうしたことを客席に感じさせず、何事もなかったかのように普通に歌い、演技するのは、やっぱりカンパニー歌手だからこそ可能。大劇場でのスター歌手の客演ではそう簡単にはいかない。
中小の劇場は逆にそういう部分にこそ強みを発揮すべきで、このプロダクションからは、そこで生き残りを賭けて必死に頑張っているコーミッシェの実力とプライドがさりげなく滲んでいる。
 
指揮者のフェルツ、以前バーゼル歌劇場の「パルジファル」で彼のタクトによる公演を聴いたことがある。そのパルジファルも今回の魔笛もそうだったが、まとまりがよくて、なんとなく縁の下の力持ちという印象。それ以上でもそれ以下でもなし。
 
一つだけ強烈な不満がある。
公演を招聘し主催した読売に対してだ。
招いた指揮者がダブルヘッダーのうちどちらを指揮するのかを事前に発表しない。出演歌手も事前にまったく発表しない。しかも当日発表されたキャストのリストは、会場内にポスターのように貼り付けただけで、個別配布もしない。
係の人に「キャスト表をもらえませんか?」と聞いたら、答えは「貼ってあるキャスト表をメモで書き写すか、携帯の写真で撮ってください。」だった。
 
ふざけるなって。ド素人、読売め。