クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2018/3/17 ペレアスとメリザンド

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香港芸術祭(HKアーツ・フェスティバル 中国語で香港藝術節)の存在を知ったのは、偶然だ。ネットで欧州の公演スケジュールを探そうとして、どういうわけかアジアに行ってしまい、そこで見つけた。
それまでは、まったく知らなかった。今年が第46回という伝統を誇っていて、およそ1か月に及ぶ総合フェスティバル。中身を見ると、クラシック音楽だけでなく、伝統の中国戯曲や音楽、舞踏なども含まれた多彩なプログラムが展開されている。肝心のクラシックでは、今年度はF・ルイージ指揮DR放送交響楽団デンマーク国立交響楽団)や、L・セーゲルスタム指揮エストニア国立交響楽団などの外来オケが招聘されている。
 
手にしたプログラムには、既に来年度の予告もされていた。オペラでは、ライプツィヒ・オペラとゲヴァントハウス管でタンホイザーをやるそうだ。(指揮者は未発表。まさか、ネルソンス?それとも無難にシルマーか?)
 
2018年3月17日  ウェルシュ・ナショナル・オペラ   香港文化センター大劇場
指揮  ローター・ケーニヒス
演出  デヴィッド・パウントニー
ジュルギタ・アダモナイト(メリザンド)、ジャック・インブライロ(ペレアス)、クリストファー・パーヴス(ゴロー)、リア・マリア・ジョーンズ(ジェネヴィエーヴ)、レベッカ・ボットン(イニョール)、アルフレッド・ライター(アルケル)   他
 
 
ドビュッシー記念イヤーに本格舞台上演を観ることができたことを、とにかく喜びたい。わざわざ香港にやってきた甲斐があったというものだ。(ミンコ&OEKのはいちおう演出付きらしいが、やるのはコンサートホールだからね。)
時の流れや光の加減をそのまま音にしたかのようなドビュッシーの幽玄な世界。
脚本や物語が存在するが、そうした展開はあまり考えず、音楽や響きをひたすら感性で捉えるという体験。まるで能を観ているかのような、静かな佇まい。
どことなく神秘的で、青ひげ公の城内の扉を開けていくようなゾクゾクする感覚。
これぞ、ペレアス鑑賞の醍醐味だ。
 
ということで、本当なら公演の質や演奏の水準についても大いに賛辞を贈りたいところだったが、なんというか、それについてはまあまあだった。ケーニヒスのタクトによる演奏も、それぞれの歌手の歌唱も。
 
別に悪いと言っているわけでもなく、けなしているわけでもない。
たぶんこれがウェルシュ・ナショナルの等身大なのだろうと思った。引っ越し公演のために普段とは違う指揮者や歌手を呼んで飾るのではなく、そのままを見せてくれたような気がした。それはかえって清々しく感じた。
 
演出も同様。パウントニーはゲストではなく、この劇場の芸術監督である。
舞台中央には鉄骨の円筒状の塔が建っている。その鉄骨はよく見ると、人体の胸部の骨組みを表している。意図は・・・よく分からない。
塔の底は水が張ったプールになっている。出演者はその水に入り、体を濡らしながら演技を行う。
このように、よくわからないけどいかにも意味ありげな装置や空間を作ったり、何かを象徴するようなオブジェを置いたりするのは、パウントニーの常套。彼らしいやり方だ。
 
ちょっと面白い視点だと思ったのは、ラストの場面でメリザンドが死に、生まれた子供が残るが、その生まれた子は迷い込んだ森の中に置き去りにされるというもの。
要するに物語は繰り返され、輪廻転生なのだということ。これもまたパウントニーらしい演出解釈であったが、全般的にはやっぱりまあまあであり、普通。
 
いや、いいんですってば。ウェルシュのありのままを見せてくれて、そしてペレアスの舞台上演を観ることができて、私は本当に喜んでいるのですから。
 
 
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