2017年8月11日 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場
ヴェルディ 二人のフォスカリ(コンサート形式上演)
指揮 ミケーレ・マリオッティ
本公演の最大のポイントは「プラシド・ドミンゴ」。誰が何と言おうと決まり。
ドミンゴこそオペラ界のザ・レジェンド。何も「オペラ界の」などと限定するまでもなく、クラシック界全体で見渡してもザ・レジェンド。現存で唯一無二、孤高の存在である。
そういうわけなので、わたくし一押しの俊英マリオッティさえも、ドミンゴの前では完全に霞み、引立て役に回ってしまう。カレヤなんか、ただのガキ。ユ・ガンクンなんかは赤ん坊の扱いだ。
出演歌手は自分の歌う時になるとステージに登場し、歌い終わると舞台袖に引っ込むのだが、ドミンゴが最初に登場した際には会場から拍手が沸き起こった。
演奏中にも関わらずスター歌手の登場に喜び拍手する習慣は、欧州にはない。拍手をした奴らは、その習慣があるアメリカ人でほぼ間違いないだろう。
でも、眉を顰めるつもりはない。そうした拍手に相応しいのが、これまたドミンゴなのだから。
誰が聴いてもすぐに「あ、ドミンゴの声だ」と分かる強烈な個性。今なお圧倒的な存在感。衰え知らずのド迫力・・。
レジェンド様に相応しい形容とはとても思えないが、あえて言わせてもらうと、怪物、化け物。とにかくアンビリーバブルなのだ。
テノールからバリトンへの移行は本当に賢明だと思う。このフランチェスコにしても、総督の立場と実の父との立場の中で揺れ動く心情は、老バリトン役ならでは。長いキャリアを積み重ねたことで滲み出る味わい深さがそこにあり、気持ちのこもった熱唱に思わず目頭が熱くなる。
息子ヤコポ役のカレヤは、彼の持っている実力は十分に発揮していたと思う。ブラヴォーもかなり飛んでいた。
ただ、大変残念なことに私は彼のことをそんなに凄い歌手だと認めていないので、客席の盛り上がりは少々過剰に聞こえてしまう。正直何でこんなに人気があるのかよく分からないのだが、そんなこと言うとファンの方に怒られてしまうので、ここは一つ「好みの問題」としておきましょう。
韓国のソプラノ、ユ・ガンクンは、美しく澄んだ声で魅了したものの、表情が終始憮然としているのが残念。もちろんルクレツィアは悲劇のヒロインであり、本人的には一生懸命悲しみを表現しているのだと思う。
でも、申し訳ないけど、やっぱりどう見ても悲しみというより憮然。
ま、いいか・・。どうもすみません。
さて、指揮のマリオッティ。彼が振るヴェルディを初めて聴いた。
正直な感想を言う。
これは私にとって少々意外、想定外であった。こんな感想になるはずではなかった。絶賛の言葉を聴く前から用意していたくらいだ。
もちろんこのがっかりは、私の個人的で勝手な判断基準によるものであり、公平ではないかもしれない。でも、そう感じちゃったものは、もうどうしようもないのである。
ていうか、やっぱりドミンゴの引立て役に回ってしまったのが、すべての原因なのだろうか。遠慮する必要なんか全然ないんだけどな。