東京・春・音楽祭の指環シリーズ「神々の黄昏」は、やむを得ない事情で行けなかった。序夜「ラインの黄金」から毎年聴いてきたのに、最後を鑑賞できなかったというのは残念だ。やっぱり4つ全部観てこそのリングで、一つでも逃すとなんだか気持ちが悪い。
ただ、行ってもいないのに、なんとなく行ったような気分になっている。
公演の感想をネット掲示板やSNSなどからいくつか見てみたのだ。
「N響の演奏水準は素晴らしかった」「外国人ソリスト歌手はさすがの実力」「ヤノフスキの音楽は結構スイスイ前に行く感じ」など、「なるほどねー、そうなんだろうねー」と思った。これまでの3回の公演の流れから、十分に想像がつく。
そうやってステージを想像したら、公演の様子、演奏の出来栄えが結構クリアに思い浮かんだというわけだ。私は、コニェチュニー、クールマン、アイヒェ、アンガーといった歌手の実力を十分知っているし、彼らのパフォーマンスが手に取るように見える。だから、おそらく想像と実際のそれは、それほど違わないんじゃないかなあと思ったりする。
もちろん急な代役だったということもあるが、やっぱりキャラクターテノールとヘルデンテノールはなかなか両立しないのかな、と思う。我々聴く側にも問題があって、それぞれが名ヘルデンテノールの実演や録音に耳慣れてしまっている。そうしたハードルを跳び越すのはやっぱり容易じゃないんだろうな。
存在感の大きい奏者だし、実際音も大きくて弦楽器群の中でも彼の音はかなり聞こえるし、きっとN響に良い刺激を与えてくれることだろう。
今回聴き逃した「神々の黄昏」だが、秋には新国立劇場の公演が控えている。
実を言うと、もっと直近の今度のゴールデンウィークに、ヴィースバーデンで聴くことになっているのだが、今、ゴールデンウィーク旅行そのものに黄色信号が点滅していて、ヤバい。A・シャーガーのジークフリート、E・ヘルリツィウスのブリュンヒルデという黄金コンビなので、楽しみにしているのだが・・・。
今年3回聴く予定だった黄昏、結局新国立の1回のみになってしまうのであろうか。不安で落ち着かない日々がもう少し続く。