クラシック、オペラの粋を極める!

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2017/6/10 新国立 ジークフリート

2017年6月10日  新国立劇場
指揮  飯守泰次郎
演出  ゲッツ・フリードリッヒ
ステファン・グールド(ジークフリート)、アンドレアス・コンラッド(ミーメ)、グリア・グリムスレイ(さすらい人)、トーマス・ガゼリ(アルベリッヒ)、クリスティアン・ヒューブナー(ファフナー)、クリスタ・マイヤー(エルダ)、リカルダ・メルベート(ブリュンヒルデ)  他
 
 
オーケストラが良かった。響きが流麗であり、かつ強固。特に金管楽器群が骨太で、とてもワーグナーっぽかった。
毎度、公演が歌手(しかも、外国人による客演)の出来に支えられていると感じがちの新国立劇場だが、この日「音楽の中心はオーケストラ」と感じることができた。これは、率直に素晴らしい成果だ。
 
惜しむらくは、ブリュンヒルデの目覚めを告げるホルンの音。何度か鳴るのだが、なかなかピタリと決まらなかったのが残念。ここは最高潮のシーンなので、頑張ってほしかった。
 
ただし、そうした細かいことを除けば、ここまでの連作3作品の中では最高の満足度だ。
おそらく多くの聴衆がそう感じたのだろう。カーテンコールでは飯守さんに対して盛んにブラヴォーが飛んでいた。ラインの黄金ワルキューレでは、一部不満なお客さんからブ~が飛んでいたから、その差は歴然である。
そうなってくると、やっぱりどうしても前2作でピットに入ったオーケストラとの差を感じてしまうんだよな。前のオケには悪いけどね・・。
 
次の黄昏は、実力は折り紙付きの読響。また一つグレードが上がる予感。
本当は同じ指揮者、同じオーケストラで、全体としての統一感を求めるのが筋かもしれないけど、こうして歴然の差を見せつけられると、オケの違いを楽しむのも‘あり’なのかなと思った。
 
歌手については、やはりジークフリートのグールドが圧巻。
彼の立派な歌唱については、あちこちのSNSで絶賛が語られているので、特に私が付け加えることはないだろう。大したもんである。
その他の出演者も皆良かったが、今回に関しては上に書いたとおりオーケストラの成果をあえて引き立たせたいので、歌手のコメントについてはこのへんに。
 
演出について。
きっと大多数の方々は、独りよがりな主張をしない今回の演出を「可」としていると思うが、わたし的には全然面白くない。この指環を通じていったい演出家は何を訴えたいのか、4作中3作が終わったというのに全然分からない。
(そもそも訴える必要なんかないという意見も、まあ私は一つの考えとして尊重しますけどね。)
 
あえて、気が付いたことを挙げてみる。
その1
ノートゥング鋳造の場面で、ジークフリートが金槌で打つと本当に火花がパチパチ出て、面白かった。どういう仕掛けだったのかな。
その2
目覚めたブリュンヒルデが、ジークフリートに接近して手を繋ぎ、その手の先に「指環」があることを見出した時、表情をパッと明るくした。ブリュンヒルデは眠らされていたが、前作でのヴォータンとの親子語りで聞かされた物語が、今ここで繋がった瞬間なのだと思った。
その3
同じくブリュンヒルデジークフリートの掛け合いの場面。一気に愛し合ってもいいのに、ブリュンヒルデはためらう。ジークフリートの愛を受け入れるということは「もう戦士ではなくなること」「神々の終焉を加速させること」になり、不安に苛まされる。
今回の演出では、ここで、ジークフリートブリュンヒルデにキスをした。このキスを入れることで、決心のきっかけを作っていた。ブリュンヒルデの踏ん切りを付けさせていた。
 
森の小鳥を一人ではなく4人に分けていたことは、ひょっとすると今回の演出上の大きなポイントだったのかもしれないが、「ふーん」「別に」「だから?」って感じ。