でも、彼はその後国籍をアメリカに移している。アメリカ人として「スタニスワフ」で通しているとはとても思えない。仮に自ら「そう呼んでくれ」と言ったって、誰もそう呼んでくれないだろう。(ミラ・ジョヴォヴィッチだって、彼女自ら『私の名はヨヴォヴィッチよ』と言っているのに、誰もそう呼ぼうとしない。アメリカはそういう国。)
ということで、きっと「スタニスラフ」でいいんだろうと思う。(下手すりゃ、アメリカでは『スクロワチュースキ』かもしれない。)
が、国レベルにおいて、日本ほど彼を尊敬し敬愛した国はないのではないだろうか。スクロヴァさんは、それくらい日本で特別に人気が高い指揮者だった。
早い話が、日本人は老巨匠好き。
似た状況にあるブロムシュテットが30年以上に渡る付き合いによって構築された信頼関係であるのに対し、日本でスクロヴァチェフスキの評価が急速に高まったは20世紀末あたりから。火が付いたのはザールブリュッケン放送響と録音したブルックナー全集ではないだろうか。日本では「老巨匠」と「ブルックナー」が上手にマッチングすると、途端に奉られ、三顧の礼で迎えられる。この図式にうまくハマったというわけだ。
80歳、90歳になってもいつまでも若々しく、矍鑠として、長大な曲をずっと立ったたま指揮し続けたことも、絶大な支持の一因だったと思う。私たちはいつも「スクロヴァさん若いなあ。すごいなあ。大したもんだなあ。」と感心していた。そして、毎度毎度「いつまでも指揮してほしいなあ。また来年も来てほしいなあ。」と願っていた。
90歳を過ぎても現役で、元気で、指揮台に立ち、喝采を浴びたスクロヴァチェフスキ。
私は思う。彼は本当に幸せな指揮者だったと。
ていうか、指揮者という職業を超え、彼以上に幸せな人生を送った人はいないのではないか、そんなこととさえ思う今日このごろだ。