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2017/2/18 大阪フィル

指揮  井上道義
ショスタコーヴィチ  交響曲第11番「1905年」、交響曲第12番「1917年」
 
 
井上道義、大阪フィル首席指揮者として、これが最後の定期演奏会だそうだ。
首席指揮者の就任直後に病気療養のため活動中断を余儀なくされるなど、本人からしてみればパーフェクトな任務とは言えなかったかもしれない。
それでも、重要な節目となる定期演奏会500回記念公演を振るなど、責務はしっかりと果たしてきた。今回、総決算として「得意のショスタコーヴィチ」でビシっと締めれば、きっと最高のフィナーレになることだろう。終わり良ければ全て良しなのである。
 
得意のショスタコーヴィチ - そう、ショスタコーヴィチこそ、井上さんがこれまで情熱を注いできた、彼の勝負作曲家だ。
中から選んだのは第11番と第12番。
なんという大胆不敵なプログラムであろうか!
これぞ井上道義の気概だ。このプログラムこそ彼のプライドであり、けじめであり、男の責任の取り方だ。私は胸を打たれた。気持ちが伝わってきた。だから大阪まではるばる駆け付けた。
 
演奏は、壮絶そのものだった。
もちろん作品自体が壮絶なので、どこのオケであろうと誰が振ろうと、心揺さぶられるのだが、とにかく指揮者の気合いが半端ない。それはもう「指揮者の執念」と呼んでもいいだろう。
 
この作品に込められた作曲家の思いを再現させるためだったら、彼はどんな手も使う。どんな動きもする。手だけで足りないのなら、足だって腰だって使う。
かっこ良さなんていらない。洗練さなんていらない。音楽のためだったら、信念の響きを導き出すためだったら、恥じらいなんかかなぐり捨てて、井上さんは指揮台の上で裸踊りだってやるだろう。ショスタコーヴィチを手掛ける時、彼は本気だ。だから、あれだけすごい音が出た。
 
好き嫌いはあるかもしれない。ムラヴィンの録音の演奏と比較するのは、そりゃあ酷だ。
でも、私はその執念のタクトに黙ってひれ伏した。圧倒的な演奏に、そのまんま圧倒された。
問答無用の演奏が終わり、私に沸き起こったのは、嬉しさと清々しさだった。
 
今回、大阪まで同行して一緒に聴いてくれたKくんは、クラシック音楽初心者である。ショスタコーヴィチの作品なんて、ほとんど知らない。当然11番も12番も、まったく知らない。
予習無しで臨んだその彼が、ショスタコーヴィチの真髄に触れ、ビビッと来ていた。
 
だから、今度の東京公演、もし迷っている人がいたら、是非是非行ってほしい。井上の渾身のタコ踊りを堪能してほしい。
 
これが井上道義ショスタコーヴィチだ!これが井上道義が大阪フィルに残した確かな軌跡だ!