クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

スクロヴァチェフスキ

 スクロヴァチェフスキが指揮する演奏会に私が初めて出かけたのは、1987年、海外のオーケストラとの来日公演であった。
 この公演のことを覚えている人、あるいは実際に行った人は、相当のマニアではなかろうか。いったいどこのオーケストラと来たとお思いか?
 
 答えはアメリカのジュリアード音楽院管弦楽団。御存知、世界的な演奏家を多く排出する名門音楽大学である。
 とは言え、所詮は学生オケでアマチュア。(もしくはセミプロ)会場は東京文化会館でもNHKホールでもなく、新宿文化センターだった。
 
 なぜ私がこんなコンサートに行ったかというと・・・。
 
 理由その1、共演ソリストが、当時天才少女として一躍名を馳せていた五嶋みどりだったから。
 理由その2、世界に名だたるエリート音楽大学の実力とはどういうものなのかという興味があったから。
 目的がスクロヴァでないことだけは、間違いない(笑)。
 
公演プログラムは次のとおり。
 
 
バルトーク  ヴァイオリン協奏曲第1番(Vn五嶋みどり
 
 随分昔の公演だが、記憶に残っているのは、お目当てだった五嶋みどりではない。みどりちゃんの演奏は素晴らしかったかもしれないし、聞いた直後は感動したのかもしれない。だが、今となっては忘れている。
 今もって鮮明に覚えているのは、メインの春の祭典の演奏である。
 ジュリアード音楽院オーケストラが超プロ級に上手かったというのもある。だがそれよりも、この複雑怪奇な難曲をそれこそいとも簡単に調理していた指揮者の力量に心底感心したのであった。
 
 実はスクロヴァのことは、この公演よりも前から、名前だけは知っていた。ミネソタ管弦楽団と録音したショスタコーヴィチ交響曲第5番のCDを持っていたのである。どうしてこのCDを買ったのかは全く覚えておらず、不明。だが、演奏は力がみなぎりエネルギーに溢れていて、私の秘蔵名盤、隠れた愛聴盤となっていた。
 
 ジュリアード音楽院のコンサートとショスタコ革命の録音CD。この2つによって、あの長くて難しい名前が私の脳みそにしかと刻まれた。その後、N響や読響と共演する機会を見つける度に、「ああ、あの時のスクロヴァさんね。」と感慨に浸り、チケットを買っていた。
 
だがそれにしても、年月を重ね、まさかこれほどまでに根強い人気を誇る巨匠指揮者になるとは夢にも思わなかった。
 ま、人間長生きするに限る、長生きすれば良い事があるということで(笑)。
 
 
 ところで、この長くて舌を噛みそうな名前。欧米では「ミスターS」と言われているとのことだが、日本人は私のように「スクロヴァ」と呼んでいる人が多いと思う。
 
 ところが、ポーランド人である私の友人の奥さん曰く、「スクロヴァと略して呼ぶのは、良くない」というのである。(※スクロヴァチェフスキはポーランド人で、ただし現在の国籍はアメリカ。)
 どうやら、「スクロヴァ」という単語が、ポーランド語ではあまり良い名詞ではないらしい。例えて言うなら、日本で「鬼塚さん」という人の名前を省略して「鬼」とだけ呼ぶと、それは良くないみたいな、要するにそういうことのようだ。
 だから、彼女の前で私がうかつにも「スクロヴァが・・・」と言うと、「ノー!スクロヴァチェフスキと言いなさい。」とピシャリ注意されてしまう。そのたびに「あ、どうもスミマセン~」とへらへら謝る私であった。