キット・アームストロング(ピアノ)
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番
アルペンを聴いて、シュトラウスが過ごした山麓の街ガルミッシュ・パルテンキルヒェンや、そこから望むドイツ最高峰ツークシュピッツェの景色を思い浮かべることが出来るのは、実際に行ったことがある私の強みである。曲を聴けば、自然と光景が蘇る。作品そのものが情景描写音楽なのだから、音楽と景色を重ね合わせるのは、別に悪いことじゃない。
ところが、である。
この日のティーレマン&SKDの演奏を聴いて、そうした光景がまったく浮かんでこなかった。こんなことは初めてだ。
でも、まあ当然だと思った。指揮者がアルプスあるいは自然をイメージした「音楽による映像作り」をしていないからだ。
ティーレマンが行っていたのは、純粋な音楽アプローチである。
それによって浮かび上がってくるのは、器楽的なテクスチュア。例えば弦楽器が水しぶきの描写を演奏する時、オーボエがぽつぽつと振り出す雨の描写を演奏する時、ティンパニーが雷鳴の描写を演奏する時、聞こえてくるのは、和声進行の中で織り成す各楽器群(あるいはソロ)の管弦楽法としての形状だ。
それでもあえてイメージ創出を試みるのなら、浮かんでくるのは「スコア」ということになろうか。
シュトラウスらしい精緻を極めた複雑なスコアであるにも関わらず、なんともすっきりした構成に聞こえるのは、ティーレマンが作品を完璧に理解して組み立てているから。彼のタクトの源泉がパッションではなく、理知的な解釈に基づくものだから。それともう一つ、オーケストラが超優秀だから。
こんなにも完成度が高い演奏だというのに、これ以上望むことが出来ない公演だというのに、会場がガラガラなのには、驚きを越えてショックを受けてしまった。
チケット代はやたらと高く、それなのになぜか特定の時期に集中しまくる外来公演。
これでいいのか? このままでいいのか?