今回の旅行、どこで何をやっていて、その中から何を鑑賞するか、というリサーチは、随分と前から着々とやっていた。
そんな中で、バレンボイム指揮のベルリン州立歌劇場で「ニーベルングの指環」、それからティーレマン指揮のザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー)で「ばらの騎士」と「アラベッラ」という公演を見つけた。
行こうと決めた。すぐさまチケットも手配した。
名指揮者が振る公演というのは、いつだって期待いっぱいで心が躍るもの。こういう公演を見つけたからこそ、今回の旅行が実現したというのもある。
ところが、世の中上手くはいかない。
バレンボイムの健康状況悪化のため、ベルリン州立歌劇場の音楽総監督のポストを辞任し、同劇場で予定していたオペラ公演をすべて降板してしまったというのは、周知のとおり。
悪い連鎖は続き、さらにティーレマンまでが健康状態を理由に上記の2公演をキャンセルしてしまった。
コロナで海外旅行が出来なくなり、本場ヨーロッパでのオペラ鑑賞が叶わなくなってから3年。厳しい状況を脱し、ようやく何とか海外に行ける目処と算段が立ち、「いざ行くぞ」となった時に、冷水を浴びせられるかのような指揮者変更の連絡。気分がいいはずがない。
だが、決して強がりとかでなく、意外にも「ふーーん・・」と冷静に受け止め、「ったく、しようがねえな」と淡々と諦める自分がいた。
一つには、クラシック公演において、こうした出演者のキャンセルというのは日常茶飯事であり、私自身これまでに何度もこうした痛い目に遭遇しているから、というのがある。
そして、大きなポイントとして、自分の場合、公演を鑑賞するにあたり、アーティストを目掛けるのではなく、作品、「何を聴くのか」に重きを置いている、というのがある。
私が聴きたいのは、「指環」であり、「ばらの騎士」「アラベッラ」なのだ。
そりゃもちろん、バレンボイムの「指環」だったり、ティーレマンの「ばら」が聴ければ、めちゃくちゃ嬉しい。
でも、バレンボイムでなくても、ティーレマンでなくても、「指環」や「ばら」が聴ければ、十分に嬉しい。
逆に言うと、たとえ有名なアーティストが出演しても、自分の関心が沸かない演目だったら、行かない。「バレンボイムやティーレマンだったら何でもいい」ということはない。世界的なオーケストラや演奏家が来日しても、プログラムが自分的にイマイチだったら、チケット購入をあっさりパスする。私はそういう人間なのだ。
今回、バレンボイム、ティーレマンが降板しても、公演自体はキャンセルにならずに上演が決まった。ということは、別の指揮者が代替を務めるということだ。
ならば気持ちを切り替えよう。代替の指揮者がどんな演奏をしてくれるのか、楽しみにしよう。
幸いなことに、ベルリンもドレスデンも、素晴らしい歌手が集結した。ワーグナーとシュトラウスの華麗なる歌の饗宴が待っている。がっかりの気持ちを引きずりながら鑑賞するのは、愚かなこと。絶対にやってはいけないことだし、そもそもその必要もない。おそらく私は、最初から指揮者がバレンボイム、ティーレマンでなくても、今回の旅行計画を組むにあたり、きっとこれらの公演を選んでいただろうから。