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2019/6/2 影のない女

2019年6月2日   ウィーン国立歌劇場
演出  ヴァンサン・ユゲ
ステファン・グールド(皇帝)、カミッラ・ニールント(皇后)、エヴェリン・ヘルリツィウス(乳母)、ヴォルフガング・コッホ(バラック)、ニーナ・シュテンメ(バラックの妻)、セバスティアン・ホレチェク(使者)   他
 
 
自分史上最大級の感動を味わいました。
もう思い残すことなんか、なーんもありません。
本当にお世話になりました・・・。
 
・・って、人生を終わらせてどうする!?(笑)
 
まあでも、どうか理解してほしい。「影のない女」は私にとって究極の演目である。場所はウィーン。最高の劇場、最高の指揮者、最高のキャスト。リンク通りにある現在の建物が建設されてから150年という記念公演プレミエのシリーズ。
 
もうこれ以上は、無いのである。
 
2017年ザルツブルク音楽祭の「アイーダ」と並ぶ、人生のハイライト。完全に浮かれ、のぼせた状態になってしまったが、そういうことで仕方がないのだ。どうか許してほしい。
 
私のように本公演への特別な思い入れがなくても、聴衆の受け止めは同じだったようだ。
カーテンコールは怒涛だった。熱狂が渦巻き、沸きに沸いた。
出演者に対する爆発的な喝采を目の当たりにし、感動にまみれてボロボロになりながら、私は「これはウィーン国立歌劇場上演史の一ページに刻んだな。」と考えていた。そして、この場に居合わせることが出来た幸運にひたすら感謝の念を捧げていた。
 
これだけ感慨に浸ることが出来たのだ。わたし的にはもう十分である。感動というのは、書き表わそうとすれば、ただ陳腐な言葉が踊るのみ。だから「ハイ、以上!」と言って記事を終わらせたい衝動に駆られる。
 
だが、こんな私の戯言ブログを楽しみに訪ねてくれる方もいらっしゃるかもしれない。なので、もう少し感想を綴るのを引っ張ってみる。
 
空前の大成功の殊勲者ティーレマン
時間も経過して記憶が曖昧になりつつあるが、2011年8月ザルツブルク音楽祭の時の演奏とは、印象が若干異なっていると感じる。
ザルツの時は、より音楽に特化したシンフォニックな演奏だったような記憶がある。
今回の演奏は、もっとドラマ性を帯びていて、大きな起伏があり、感情のうねりを伴った「オペラ」であったと思う。
 
あくまでも印象、気のせいかもしれないとはいえ、いったいこの差は何か。
時の経過というのもあるが、2つのプロダクションの間で決定的に違うのは演出だ。
もし、こうした演出上の作用がティーレマンの音楽的解釈に影響を及ぼすのだとしたら、それは非常に興味深い事象と言わざるを得ない。唯我独尊、音楽作りの一貫性においてぶれることがない、ぶれるわけがないと常に思わせる絶対的指揮者だからだ。
 
一方で、歌手やオーケストラを牽引し、導いていく強力なリードは共通項なのだが、これは何も2つのプロダクションに限らず、ティーレマンのすべての演奏に存在する「永久不滅の肝(キモ)であり本質」、「ティーレマンティーレマンたる所以」と言っていいだろう。
 
カーテンコールで真打ちが登場した時、ボルテージは最高潮に達したが、その瞬間、私は芸術の神様が降臨したのを見た。神様は微笑み、そして舞台を祝福したのだ。
 
私は思う。
あの時降臨した芸術の神様は、R・シュトラウスだったのではないか。
ティーレマンは、なんとシュトラウスが実際に使ったという当時の楽譜を置いて指揮していた。(幕間休憩中、私も最前列のピット前まで足を運び、その楽譜をこの目で確認した。)
それが彼流のパフォーマンスなのかどうかは知らない。
でも、作品を尊重し、スコアを通じて作曲家と会話しようとしていたと思う。私はそう信じる。それだけで嬉しくて泣けてくる。
 
ユゲの演出についても絶賛したい。
彼は正々堂々と原典への忠実性を図り、オーソドックス手法に徹した。
風潮に従い、現代に置き換える読替えを実行しても良かったかもしれない。
推測だが、最初からオーソドックスありきではなく、現代読替えの可否についてもじっくり検討したと思う。
だが、賢明なユゲは、台本とスコアの考察の結果、読替えは単なるこじつけにしかならず、シュトラウスとホーフマンスタールによる壮大なドラマを描き切ることが出来ないと判断したのではないだろうか。
率直に言えば、そんなことは当然の帰結なはずだが、他の多くの現代演出家はそれでも演出の存在感を全面に出そうとする。そうすることが使命だと思っているからだ。
 
ユゲは台本と音楽を信じた。本当は、音楽を信用できるかどうかこそ、オペラ演出に適任か非適格かの分かれ道。
ゆえに、私は彼を高く評価する。
上に書いたとおり、結果として、私はティーレマンの音楽にも影響を及ぼしたと感じ取ったのだ。これぞ演出家への最大の称賛と言わずして、なんと言おう。
写真で見ると、まだ若くてクールなイケメン演出家。P・シェローの弟子だという。これから世界中の公演プログラムの演出欄にその名を見つける機会が増えることだろう。
 
 
そろそろ記事が長くなってきた。
歌手については、やむを得ず端的な賛辞を表して終わりにしたい。
S・グールド。正統的で瑞々しい歌唱、そして抜群の安定感。
C・ニールント。繊細な表現力、虹のように鮮やかな色と艶。
E・ヘルリツィウス。キレのある変幻自在の発声。脇役なのに、舞台にいる時は常に中心にそびえる圧倒的存在感。
W・コッホ。人間味に溢れた情緒的な歌唱。愚直さと誠実さがバラックという役と重なる。
そして、すべてを浄化させてしまうN・シュテンメの絶唱。現代オペラ界の輝かしい宝石。世界最高のドラマチック・ソプラノここにあり。