クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/12/12 都響

2011年12月12日  東京都交響楽団A定期  東京文化会館
ガブリエル・リプキン(チェロ)
ショスタコーヴィチ  チェロ協奏曲第2番、交響曲第5番
 
 
 大のタコ好き(蛸でも凧でもありません)で、タコがメインのコンサートなら尻尾振って出かけ、ましてやこの日のように「オールタコプロ」だったら思わず感涙にむせいでしまう私だが、そんな私でもチェロ協第2番はハードルが高い。難解で、厄介で、なかなか手に負えない。クラヲタでタコマニアの私でさえそうなのだから、普通のクラシックファンの方々はかなり戸惑ったのではないだろうか?
 この日、私は高い所から見下ろせる5階席で聴いていたが、ふと客席を見渡すと、案の定、じっと腕組みをしつつ頭が前に傾いてこっくりこっくりしている人が多数だった。仕方ないよな。ホント難しいんだから。
 その一方で、チェロ奏者にとっては、ひょっとするとそびえ立つアルプスの北壁登頂のごとくチャレンジングな曲なのかもしれない。
 
 演奏についてのコメントは、パス。良かったのか悪かったのかもよく分からなかった。いや、あのね、言っておくけどあたしは寝てませんからね!
 
 なかなか演奏されないこの超難曲を聴く機会が、なんと来年2月に再びやってくる。N響のB定期公演。それまでに私ももう少しおさらいをしておくとしますか。
 
 メインの5番。凄まじいほど豪壮な演奏だった。インバルは指揮をしながら叫んでいる。同時にオーケストラに対しても「叫べ!」と煽っている。彼は主張する。「欲しいのなら、望みを叶えたいのなら、思っているだけでは駄目だ。叫ばなければ手に入らないのだ。」と。
 
 ショスタコーヴィチの時代背景。ソ連共産党スターリンの独裁体制。圧力に屈し、表面的には体制に従って取り繕いつつも、どこか屈折した叫びが内在する彼の作品。
 そんな作曲家の境遇と、ユダヤ人としての宿命を背負った指揮者の存在が音楽を通してクロスする。重い。実に重いインバルの5番だった。