もう終わっちゃったけど、オリンピックネタを。
こうやって海外にしょっちゅう行っているので、「旅先のホテルで、そこでテレビを付けて見るオリンピック」というのをこれまでに何回も経験している。今回のリオもそうだった。
とにかくまったく違うのだ、日本のそれとは。テレビに写っている光景は、我々日本人が知らない世界。「これは本当にオリンピックなのか??」と戸惑う。一種のカルチャーショックを受ける。
まず、日本人はまったく登場しない。考えてみれば実に当たり前なのだが、不思議な光景である。
次に、中継される競技がまったく違う。改めて欧州の人気競技が日本と違うことに気づく。
向こうではこれらを延々とやっているわけですな。誠に興味深い。
もしこれらが日本人のメダル獲得有望競技なら、おそらく日本でも中継されるだろう。でも、中継されるのは日本人が登場する試合のみ。
そう、日本のオリンピック中継というのは、とにかく日本人、特にメダル獲得有望な日本人だけにスポットを当て、ただひたすらそれを追いかけているのである。
もちろん、ドイツでもフランスでもイタリアでも、自国の選手の動向は当然追っている。自国の選手がメダルを取れば、ニュースとなってバッチリ採り上げられる。それは当たり前、全世界共通。
でも、決定的に日本と違うのは、向こうではしっかりと競技にスポットを当てていることだ。
例えば、フランスのホテルで見たフェンシング中継は、フランス人以外の試合も放送されていた。街角のレストランやカフェでその国の人気競技が中継されていると、自国以外の試合でもみんな食い入るようにテレビを観ていた。
はっきり言っちゃうが、日本人は本当はみんな競技なんかどうだっていいと思っている。競技そのものに興味が無い。日本人がメダル取れれば、ただそれでいいのである。
更についでに言っちゃうと、日本の中継で気味が悪いのは、地元のパブリックビューイング等で応援する人たちの姿を映し出したり、家族親戚を引っ張りだしたりして、そういう人たちに無理やりスポットライトを当てようとすること。欧州でテレビを見ていて、そんなシーンを見たことがない。こんな所からも、日本は「競技」ではなく「人」を追っかけ、そこに「感動」という安っぽいドラマを作ろうとしていることがよく分かる。
私がオリンピックにうんざりするのは、要するにそういうところなのだ。
欧州のオリンピック中継は、実にシンプル。勝負を中継し、勝者を映す。そういうのを見ると、私なんかはスポーツ文化の成熟という意味において、「やっぱり欧州には敵わねえなあ」と思うのである。
そんな日本に、4年後、オリンピックがやって来る。
全世界が注目する開会式は、歌舞伎や日本舞踊、和太鼓演奏、祭りなど、日本の伝統文化を取り入れた内容になるのだろうが、それが世界にどのようにつながるのか、どんなメッセージになるのか、そうした発信力が日本には乏しく、非常に悲観的であると、以前にブログ記事に書いた。
また、日本には世界の誰もが知っている有名人というのがいなく、ふさわしい「顔」がない。そういう意味でも魅力に乏しいと言わざるを得ないみたいなことも書いた。
だが、リオ大会閉会式で次回開催都市TOKYOのPRセレモニーを見て、私は猛烈に感動した。
メッセージ性があり、「日本に行ってみたい」「オリンピックを開催する日本は楽しそうだ」という期待を大いに抱かせる見事なセレモニーだったからだ。
世界の誰もが知っている有名人、なんと、いたではないか!?
アニメのキャラクター? いったい何が悪いのだ?
ショーも実に見応えがあった。
音楽や振り付け、構成は、若いアーティストたちが担ったそうである。
素晴らしい!!
年取った映画監督や大御所の演出家ではなく、世界を身近に置き、世界に羽ばたこうとする彼ら若い人に任せればいい!
彼らはきっと世界とどのようにつながるか、回答を見出してくれるに違いない。オリンピックは世界の若人の祭典なのだから。