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メト・ライブビューイング「湖上の女」

昨日、WOWOWで放送されたアルゲリッチのドキュメントムービーを見た感想について記事に書いた。
実は同じ日、WOWOWで放送されたもう一つの別番組も見た。
METライブビューイング「ロッシーニ:湖上の女」(2015年3月14日収録)である。
 
この公演は現地で生鑑賞した。しかもまさに上記の収録日。
指揮がM・マリオッティ、出演歌手はフローレス、ディドナート、バルチェッローナ、オズボーンなどで、はるばるニューヨークまで駆けつけるに相応しい豪華スペシャル公演であった。こうして改めてあの時の感動をテレビ映像で観られるのは本当に嬉しい。「自分もそこに居合わせた」という感慨が喜びを増幅させる。
 
だが、不思議なものである。
何を隠そう、現地での生鑑賞で感じたことと、今こうして映像を見て感じたことが、若干違うのだ。
 
生鑑賞した時の感想はブログ記事にアップしたので、その時自分が何を感じたのか、記録として残っている。概ね次のとおりだ。
・指揮者マリオッティの軽快なタクト、歌手たちへの寄り添い方が素晴らしい。彼こそが音楽を支えていた。
フローレスはさすがの一言だが、一方でもう一人の主役ディドナートは圧倒的存在感には至らなかった。
 
ところがである。今回のライブ映像を見てまざまざと印象として焼き付いたのは、指揮者よりも豪華な歌手陣の方だった。特に、ディドナートについては、歌も表情も演技も第一級で申し分がない。どうして「圧倒的存在感に至らなかった」などと思ったのか、まったく見当もつかない。
 
おそらく、これこそが映像の特色なのだろうなと思った。
 
映像は、クローズアップが可能である。これは大きな利点である。歌手たちの表情や演技が手に取るように分かる。
つまり、単に距離的な問題の解決ではなく、接近させることで視聴者に伝えたい事を明確に示し、それをダイレクトに届ける。クローズアップを駆使した映像技術にはそれが備わっているのである。カメラは、アーティストと聴き手をつなぐ媒体となり、その魅力を最大限に伝える役割りを担っているということなのだと思う。
 

演奏終了後のカーテンコール。カメラは熱狂しスタンディングオベーションする客席を写した。私は身を乗り出して、自分が写っていないか探した。
 
・・・見つかりませんでした(笑)。ガクッ。