クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2015/3/14 湖上の女

2015年3月14日   メトロポリタン・オペラ
ロッシーニ  湖上の女
指揮  ミケーレ・マリオッティ
演出  ポール・カラン
ジョイス・ディドナート(エレナ)、ファン・ディエゴ・フローレス(ジャコモ5世)、ダニエラ・バルチェッローナ(マルコム)、エドゥアルド・ヴァルデス(セラーノ)、オーレン・グレイドゥス(ジャコモ)、ジョン・オズボーン(ロドリーゴ)   他
 
 
「いかにもメトらしい豪華なキャスト!」
 と言いたいところだが、実は2011年のスカラ座でも、2013年のコヴェントガーデンでも、今回とほぼ同様の最強キャストで本作品が上演されていた。
 このオペラは、ペーザロではお馴染みだが、普通の劇場ではなかなかレパートリーに入らない演目である。それだけに、当時、スカラやコヴェントガーデンの公演概要を私は羨ましく眺めた。もちろん観に行きたかったが、かなわなかった。
 
 なので、メトの今シーズン演目が発表され、これを見つけた時は興奮した。「三度目の正直。ラストチャンスかもしれない。絶対にニューヨークに行かなければ!」と早々に決断した。ちょうど一年前のことだ。チケットゲットした時は小躍りし、一人盛り上がった。早く来い来い2015年3月。待ち切れないって感じだった。
 
 興奮というものは、そんなに長く続かない。
 さすがに一年も経つとすっかり気分が落ち着いてしまった。むしろ、初ボストン、NBAとNHLのスポーツ観戦の方に期待が高まり、湖上の女についてはせいぜい「頼むから誰も落っこちないでくれよな」程度にしか思わなくなった。
 この日、劇場に到着しても、あまりワクワクドキドキという感じではなかった。「なんとか無事に到着して、間に合ったな。」というのが率直に思ったことだった。
 
 しかし開演となり、序曲が始まった瞬間、ワクワク度が再び沸騰し始めた。素晴らしき高揚!ロッシーニワールド早くも全開!
 思い出した。私はこのひとときを待望していたのだ!
 
 これを想起させてくれたのは、紛れもなく指揮者の軽快なタクトだった。歌手にばかり注目が行くが、今回音楽を統率するのは俊英マリオッティだ。彼のロッシーニの素晴らしさはペーザロのフェスティバルで実証済み。マリオッティが振るロッシーニは、スター歌手の競演に負けないくらいの大きな魅力なのだ。
 
 とにかく歌手への寄り添い方、舞台との距離感が絶妙絶品である。スコアは頭の中に完璧に叩きこまれている。あとはどれだけ歌とオケを一体化させつつ音楽を自由自在に操るか。
 歌を全面に押し出す所、オーケストラのソロパートを聴かせる所、オーケストラを煽って音楽を前に進行させようとする所・・・次々と現れるめまぐるしい展開を、タクト一振りできめ細やかにリードしていく。これが実に的確で爽快、心地良いのだ。
 
 聴衆のアメリカ人、この指揮者がいかに舞台と音楽を支えていたのか、ちゃんと気が付いたのだろうか。怪しいもんだ。
 
 まあそうは言っても、これだけのビッグネーム歌手が揃えば、どうしてもそっちに目と耳が行ってしまうのも仕方がないかもしれない。それくらいフローレス、ディドナート、バルチェッローナ、オズボーンらの競演はすごい。
 勝負どころのアクートやアジリタは、指揮者マリオッティから「どうぞお好きなように」との寛大なお許しが出ていて、音楽を自由に動かし、決める所で「どうだ!」とばかりに大見得を切る。これをやられちゃったら、もう誰も敵わない。首を振って「アンビリーバボー」とため息を付くしかない。
 
 特に、フローレスがやっぱりすごい。この人の歌は、あたかも空気の振動が目に見えるかのよう。メトのような広大な舞台空間でさえもあっという間に制圧し、聴衆を虜にしてしまう。
 
 一方ディドナートは、貫禄を見せつけたものの、フローレスが示したほどの圧倒的存在感には至らなかった。もっと迫真の演技が出来るはずだし、歌と演技の相乗効果で更なる高みに到達し得たと思うが、そこまでいかなかったのは、平凡な演出のせいかもしれない。
 
 あとはやっぱりメトのお客さんの無意味な「笑い」がどうしても気になる。
 ああまったく、こいつらにオペラは「お芝居」ではなくて「音楽」なのだということを理解させてやりたい。オペラ芸術の真髄というものを理解させてやりたい。
 
 無駄骨だということは分かっているのだが・・・。