クラシック、オペラの粋を極める!

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2015/12/20 パリ・オペラ座

2015年12月20日  パリ・オペラ座   バスティーユ劇場
指揮  フィリップ・ジョルダン
演出  アルヴィス・ヘルマニス
ヨナス・カウフマンファウスト)、ソフィー・コッシュ(マルグリート)、ブリン・ターフェルメフィストフェレス)、エドウィン・クロッスリー・マーサー(ブランデル)   他
 
 
ヘルマニスは、近年急速に頭角を現したラトビア出身演出家だ。ザルツブルク音楽祭には2013年2014年とニ年連続(再演を含めると三年連続)で招かれ、「イル・トロヴァトーレ」では舞台を現代の美術館内に置き換えるなどして、聴衆をあっと言わせた。既に今後のバイロイト音楽祭への招聘が決まっているとの噂もあり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。
 
というわけで、とても楽しみにしていた今回の演出。ところがどっこい、結果は「ちょっと考えすぎ」「やりすぎ」「勢い余った」という感じ。
練りに練られたプラン、目の付け所の違う斬新なアイデアで、演出家自身は満足だったかもしれない。しかし、相当空回りしている印象を受けた。現代演出に肯定的な私でさえそう感じたのだから、保守的なお客さんは受け入れ難いだろう。実際、聴衆の反応は悪く、演出に対してかなりのブーイングが飛んだ。
 
ヘルマニスは、ファウストが学問を極めつつ真理を探求し続ける天才学者であることに着目し、彼を有名な物理学者スティーブン・ホーキング博士に見立てた。舞台上には黙役としてほとんどすべての場面にホーキング役が登場する。(電動車椅子に乗っているので、誰でも一目でホーキングと認識できる。)
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ヘルマニスの妄想的アイデアはどんどんとあらぬ方向に進む。ホーキング博士の研究が宇宙物理学であることから、物語が「人類による火星探索の旅」へと向かっていくのだ。
 
「世界中から厳しい審査を経て選ばれた男女たちが、科学調査と人類の移住可能性を求めてこれから火星に向けて出発する。ただし帰りの切符はない。この厳しいミッションに対し、応募者全員が許諾した・・・。」
 
字幕(仏語と英語)と仏語アナウンスによって告げられ、宇宙飛行士(バレエダンサー)が一人ひとり紹介される。
 
こうして、そもそものゲーテファウスト」の物語と、「ホーキング博士の研究」と、「火星探索の旅」の三つが同時並行で展開していくことに。
はっきり言って無理、無茶、無謀。
ベルリオーズの音楽に集中したい聴衆からしたら、舞台上の目に見える物は邪魔以外の何物でもなかっただろう。
 
結局、火星探索の旅の結末は示されず。そりゃそうだ。元の物語とは何の関係もないのだから。
 
ならば、ヘルマニスはこの演出を通じていったい何を訴えたかったのだろう。
科学の進化なのか、人類の行く末なのか、無限の可能性なのか、宇宙の神秘や自然の美しさなのか・・・。全然わからない。
 
あえて良かったことを挙げよう。
映像、照明、装置、バレエダンサーによる踊りを総動員駆使し、舞台空間を壮大に構築していたことだ。内容はさておき、これだけ大掛かりでスペクタクルな舞台を作り上げるのは大変だったと思うし、お金もかかったに違いない。正直、日本のカンパニーでは絶対に実現不可能な舞台。演出の内容はさておき、こういうのを見ると、「やっぱり本場に行かないと観られない物がはっきりと存在する」と痛感。
 
今回、気の毒だったのはホーキング博士役を担った役者さん。上に書いたとおり、聴衆の演出に対する不満と拒絶がブーイングという形で示されたが、初日ではないため演出家はカーテンコールに登場せず、その矛先が彼に向けられてしまった。被害者もいいところだ。
 
歌手について。
やはり、スター歌手カウフマンを賞賛せずにはいられない。声質に少々クセのあるカウフマンだが、今回のファウストはバッチリはまっている。以前に映像でマスネのウェルテル役を視聴したが、こちらも素晴らしかった。私個人としては、ワーグナー諸役よりフランス物の方がいいのではないかとさえ思う。カーテンコール時の聴衆の歓声もすごかった。
メフィストフェレス役のブリン・ターフェルも素晴らしかった。彼を聴くのは久しぶりだったが、すっかり円熟期に入っている。
ただし、凄みに欠けた。これは演出の要請によるものなので仕方がないが、悪魔としての不気味さや怖さといったものが、演技からも歌唱からもまったく感じられなかった。
ソフィー・コッシュ。
私は彼女の実力をしっかりと認めているのだが、今回はそれ以上でもそれ以下でもない。出番が後半しか無く、モノローグのアリアは確保されているもののドラマ的にはそれほど主要ではないこともあり、強い印象を得ることは出来なかった。
それだけカウフマンとターフェルという大物に喰われてしまった可能性があるが、ならば来年9月の東響定期、公演の「顔」として登場するコッシュは、存在感が異なったものになるかもしれない。
 
指揮のフィリップ・ジョルダンは、ベルリオーズの音楽を華麗に彩った。統率力があり、音楽に方向性と筋が入っており、本当に見事なタクトである。演出を嫌った聴衆は、目をつぶって耳だけに神経を集中させたとしても、きっと満足感を得たことだろう。