チャイコフスキー イオランタ
指揮 鈴木恵里奈
演出 ヤニス・コッコス
ピアノ 髙田絢子、原田園美
松平哲平(レネ王)、野町知弘(ロベール)、濱松孝行(ヴォーデモン)、森翔梧(医師)、和田悠花(イオランタ)、一條翠葉(マルタ) 他
大好きな「イオランタ」であるが、私はこれまで4回しか聴いたことがなく、それらは全てコンサート形式上演である。
今回ようやく初めてオペラ(演出付きという意味で)を鑑賞することが出来た。しかも、高名なヤニス・コッコスが演出を務めるという。
コッコスの舞台は、超が付くほどシンプル。
これも同様に、予算上の問題という現実的な側面もあるのだろうが、私がこれまでに観たことがあるコッコス演出の舞台は、概してこういうシンプルなものが多かった。演出家と劇場側双方の方向性は上手く合致していたのである。(だからコッコスを招いたなんてことはないよな?)
もちろん、シンプルな舞台は、ちゃんと演出上の意味がある。イオランタの盲目による無の世界を表しているというわけだ。
歌手の皆さんは、やはり研修生ということで、本当に一生懸命に役に取り組んでいる。おそらくお客さんは、音楽を聴いたというより、劇を観たという印象を強く抱いたのではないか。それくらい熱心さがダイレクトに客席に伝わってきたし、真摯な演技に私も結構グッと来た。
後は、物語も泣けるし、音楽も泣ける。鑑賞後の感動はひとしおであった。
肝心の歌唱であるが、どうなのだろう、こういう場合、出来について「研修生なのだから」ということで「よく頑張りました。十分じゃないすか?」みたいに不問に付すのがいいのだろうか?
それとも、「いやいや、プロ・オペラ歌手のタマゴなんだから、しっかり問われるべきだろう」がいいのだろうか?
よく分からないので、「まあ言及したいことが無いわけじゃないけど、やめとくね」ということにする。
ただ、初心者聴衆も含め、会場で聴いていた誰もが気が付いてしまったヴォーデモン役濱松さんの高音の耳障りな乱れは、もしあれが本場の劇場での出来事だったら、間違いなく次のお呼びは無いだろう。
調子が悪かったのか。それとも、元々持っている高音の技術があの程度なのか。
きっと調子が悪かったのだろうねえ・・。
歌ではなく、トランペットという楽器の話だが、私自身の演奏経験で、普段の練習では出せている高音が、本番に調子を落として出せなかったということが何度もあった。
きっとそういうことなんだろうねえ。(オレの経験なんかと一緒にするなっていうのは、マジそのとおりだな。)
これがカウフマンだったら、100%ドタキャンだっただろう(笑)。
会場のロビーには、今トゥーランドット公演のリハで御多忙の大野芸術監督が、普通に談笑しながらフラフラしてた。