クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2015/10/2、3 二期会 ダナエの愛

2015年10月2日、3日   二期会   東京文化会館
R・シュトラウス   ダナエの愛
指揮  準・メルクル
演出  深作健太
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ユピテル(小森輝彦(2日)、大沼徹(3日))、ダナエ(林正子(2日)、佐々木典子(3日))、ミダス(福井敬(2日)、菅野敦(3日))    他


 今年の国内公演の中で、最大の楽しみが「ダナエの愛」だった。英国ロイヤル・オペラ・ハウスでもウィーン・フィルでもない。そんなもん、本公演に比べたらカスみたいなものだ。
 私は主催した二期会に感謝する。心から。「よくぞ採り上げてくれました」と。まさか本格舞台上演を実現させてくれるとは!本場欧州でさえ、ほとんど上演されないレア作品。ましてや日本で観ることなど絶対に叶わないと思っていた。二期会の公演ラインナップを見た時は、目を疑い、そして思わず「うぉー!」と叫んだ。おそらく国内では、私に残された人生の中で「次」はもうないだろう。

それにしても思う。「なぜ?」
こんなに素晴らしい作品なのに、こんなに美しい音楽なのに・・・。
ストーリーが難解なのか?音楽がとっつきにくいのか? そんなの絶対にNOだ。試しに、今回観賞した人たちに聞いてみたらいい。みんな「知らなかったけど、こんなにいい曲だったのね」という感想を抱いてくれたはずだ。実際、そうした感想やつぶやきがSNS等で語られている。シュトラウスマニアの私としては、こんなに嬉しいことはない。

 歌手の方々について、個々に見れば、あるいは詳細部に渡って見れば、若干の物足りなさを感じた部分がなかったわけではない。そこら辺は正直に言っておく。だが、ここではいちいち言及することをやめる。
 最も感嘆したことは、ほぼ全員が初めて取り組んだはずなのに、音楽とセリフと演技が乖離せず、しっかりと自分の物として消化されていたことだ。出演者の皆さんの真摯な努力について、心から賞賛しようと思う。
 今回二日続けて鑑賞したが、ダブルキャストのそれぞれが自分の持ち味を発揮していたと同時に、オリジナルな表現を展開していたことに気付いた。当たり前かもしれないが、指揮者や演出家と同様に、歌手の皆さんもスコアや脚本から何が読み取れるかをしっかりと研究しているのである。両日通ったおかげでそうした成果を確認できたのは、私としてもとても良かったと思う。

 指揮者メルクルについては、「ああ、この人、R・シュトラウスを演奏するためのコツを知っているな」と感じた。シュトラウスに慣れている。シュトラウスのことを分かっている。この人だってダナエ自体を採り上げたのはきっと初めてだったはずなのに。
 音楽的には初日よりも二日目の方が一層充実度を増していた。こういうのは回を重ねるごとに良くなっていくものなのかもしれない。

 演出の深作さん。有名な映画監督の御曹司。まったく期待していなかったが、これがびっくりするくらい見事だった。感心した。本当にグッドジョブだったと思う。
 多くの日本人演出家が、単に物語を正確に伝えることに主眼を置くのに対し、深作氏は作品の根底にあるものをきちんと見つけ出そうとしていた。
 何よりも素晴らしいのは、作品のタイトル「ダナエの愛」とはいったい何なのかという真実に迫ったことであろう。
 深作氏が考えるダナエの愛、それは「人間」の愛であった。ダナエは神ではなく、人間を選んだ。これは、金と権力に物を言わせて無理強いしたところで、本当の愛は得られないということ。そして、真の愛の果てには新たな生命が宿るということ。
 ダナエが身籠っていることを見せた場面は、ものすごく衝撃的ではあったが、深い納得と大きな感動に湧いたハイライトだった。

 それだけではない。
 例えば、第三幕の廃墟の舞台装置は、間違いなくR・シュトラウスが作曲した第二次世界大戦当時のドイツの状況を示唆したものだし、そこに更に日本の原発事故を重ね合わせた点は、目からウロコだった。
 あるいは、ユピテルの権力者でありながら破滅を予感しつつも愛を求めて彷徨う姿に、ワーグナーのヴォータンを重ね合わせることなども、「こやつ、オペラを知っているな」と思わずニヤリ。
 また、黄金を夢見る少女から真の愛に目覚め、やがて母親の自覚を持っていくというダナエの人間的成長が描かれていたことも見逃せなかった。他にも、刻々と変化する照明の効果など、様々な手法、考え、アイデアに溢れていた。

 二期会は是非是非、この若き演出家に別作品で再度のチャンスを与えてほしい。ひょっとすると、とんでもない天才かもしれないよ、この人。