2015年10月4日 NHK交響楽団A定期演奏会 NHKホール
指揮 パーヴォ・ヤルヴィ
合唱 東京音楽大学合唱団
エリン・ウォール(ソプラノ)、リリ・パーシキヴィ(アルト)
マーラー 交響曲第2番復活
復活聴いて最後の音が響き終った後にすかさず「ブラヴォー!!」と叫んだあなた。感極まってしまったんだろうねえ。分かるよ。
あなた自身は指揮者あるいはオーケストラに対して叫んだつもりだろう。でもね、それは多分きっと「演奏に感動」というより、「曲に感動」したんだと思うよ。復活という作品は、ブラヴォー叫ばずにはいられない大曲なんだ。
もちろん純粋に演奏そのものに感激することだって多々ある。だけど、ビリビリと痺れるような幸福感に包まれるのは、すべてとは言わんがだいたいが好きな作品だし、だいたいが聴き手を揺さぶる要素が内在している作品だ。この曲はまさにそう。
逆に言うとさ、どんなに超絶的な演奏であっても、ハイドンの交響曲第○○番の演奏直後に今回会場で巻き起こったようなブラヴォーが飛び交うことはまずない。これまでの経験上でもないし、今後も起こらない。何なら賭けてもいいぜ。
というわけで今回のN響の復活は私も大いに感動したわけであるが、たくさんの賞賛は天国にいるマーラーさんに捧げる。その上で、冷静にヤルヴィの音楽について振り返ってみようと思う。
ヤルヴィのアプローチは、今回の復活に限らず毎度そうだが、精巧かつ緻密、そして理知的である。一つ一つの旋律や和音に相当細かく「ここはこう、そこはこう」という組み立てを行っている。全体的な流れや感情の振幅に重きを置きながら普遍性を目指すバーンスタインとは対極を為す。
あくまでも想像なのだが、ヤルヴィはリハの段階で、上に書いたような綿密な指示を与えながらも、それに対してオーケストラからどのようなリアクションが来るかを確認し、その都度見極めながら音楽を作っているのではないだろうか。自らの絶対的基準に従わせ染めていくのではなく、テーマや課題を提示しながらオーケストラに考えさせる共同作業を繰り返す。もちろん真相は分からないが。
だから、同じ曲でもオーケストラによって結果が異なっていくような気がする。パーヴォ・ヤルヴィの指揮なのにN響の演奏とhr響やパリ管の演奏とでは全然違う、みたいな。
もし仮にそうだとするなら、新しいN響首席指揮者としての今後の見どころ聴きどころとしては、オーケストラとのコラボレーションや化学反応、ひいては今までにはなかったN響の新たな一面、覚醒などが挙げられよう。
これまでのヤルヴィの公演(他の外来オケを含む)の中には、そうした出たとこ勝負の結果、イマイチ理解に苦しんだり、どうも好きになれなかったような演奏もあった。
吉と出るか凶と出るかのスリリングな体験。これから数年間は、どうやら刺激的なN響を味わうことができそうだ。