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2015/3/3 ブロンフマン リサイタル

2015年3月3日  イェフィム・ブロンフマン ピアノリサイタル   トッパンホール
プロコフィエフ  ピアノソナタ6番、7番、8番
 
 
 ブロンフマンを聴くのはずいぶんと久しぶりだ。1991年4月のN響定期でプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を聴いて以来なので、実に24年ぶりということになる。
 当時の印象はかなり薄れているが、何となく見かけも演奏もクールでスタイリッシュだったような覚えがある。
 
 今回、そんな印象が思い切り変わった。見かけも演奏も。かなり意表をつかれた。そりゃまあ24年ぶりとなれば当然かもしれないが。
 
 まずステージに登場した姿に驚いた。恰幅がよくなったのはまあいいとして、その表情や佇まいに精悍さ、凄みが加わっていた。ちょっと怖そうな感じで、たじろいでしまった。
 
演奏にはもっと驚いた。鋼のように強靭なピアノだった。タッチは強く、重く、そして冷たかった。
 
 曲がプロコフィエフソナタだったから、というのは大いにあるだろう。
 だが、私が普段この一連のソナタを聴いて受ける曲の印象は、スピード感であり、アグレッシブさであり、片目で笑って片目で泣き、右に行くと見せかけて左に行くようなトリッキーさ、諧謔性、といったものである。
 なので、軽快なフットワークを取らず、立ち止まりながら重い石のパンチを次から次へと繰り出すヘビー級ボクサーのようなブロンフマンの演奏には、正直かなり面食らった。
 
もしかしたら、ブロンフマンはこの三曲に付けられたタイトル「戦争」を意識していたのではあるまいか。
 
 ご存知の人も多いと思うが、「戦争ソナタ」というタイトルはプロコフィエフ自身が付けたものではない。確かに、第二次世界大戦の時期に作曲された。だが、戦争との関連性や影響については諸説があり、断定できない。
 
 それでもブロンフマンは、自らの演奏解釈の中で、戦争との関連性を見出したのではないか。そして今もなお世界各地で紛争が絶えず、殺戮や破壊が繰り返されるこのご時世において、作品を採り上げ、演奏する意義と必要性を我々に訴えかけているのではないか。
 
演奏だけでなく表情や佇まいにも凄みがあって怖そうに見えたのは、もしかしたらそのせいだったのだろうか。
 
プログラムの本編が「戦争」なのだとしたら、アンコールで演奏されたスカルラッティショパンは「平和」だった。
ただし、つかの間の・・・。