クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

藤原歌劇団のポリシー

 この話題は、ひょっとするとデリケートな問題かもしれない。そして、余計なお世話なのかもしれない。
  なぜかというと、上演団体のポリシー、アイデンティティに関わることだからだ。「なぜ?」と問うても、「だって、そういう方針」「うちはそういう団体」であっさり片付けられてしまう可能性がある。「これはうちの特長であり、個性なのだ」と逆に胸を張られてしまう可能性がある。
 
 それでもあえて問うてみたい。問うたところで何が起こるわけでもなし、何が変わるわけでもなし。単なるシロウトファンの遠吠えとして言わせていただきたい。
 
「なぜ藤原はイタリア物しかやらないの? なぜ?」
 
 いや正確にはイタリア物だけじゃないことくらい知っている。「カルメン」「ファウスト」「カルメル派修道女の対話」などのフランス物を上演したことがあるし、イタリア語上演されるモーツァルトの諸作品は厳密に言えばドイツ物かもしれない。
 だが、総合的に見て、この団体がいわゆるイタリア路線を踏んでいるというのは、誰もが認める周知の事実だろう。
 
 おそらく関係者に直接聞けば、歌劇団が生まれた経緯、創設者の意向、これまで歩んできた道、目指すべき姿など、その歴史と伝統、方針等について滔々と説明してくれるに違いない。
 
 ご立派な伝統や実績を否定するつもりはない。
 だが、あくまでも個人的な意見として、藤原歌劇団が「イタリアオペラ」を上演する団体ではなく、「オペラ」を上演する団体だと自認するのなら、だったらそのとおり「オペラ」を上演してほしい。チャイコフスキーの作品も、R・シュトラウスの作品も、ワーグナーヤナーチェクも、みんな「オペラ」だ。
(ここで言う「オペラ」とは、国や言語に因われないあらゆる作品形態のことを指す。以下において同じ。)
 
 バイロイト音楽祭ワーグナーのみを上演したり、イングリッシュ・ナショナル・オペラが英語上演にこだわったりするのとはわけが違う。
 「日本の歌劇団の使命として、日本のオペラだけを上演する」というのなら、分からないでもない。だが、そういうこだわりではない。なぜかイタリア路線なのである。
 
 ここはイタリアではない。日本である。日本の団体がなぜイタリア路線なのか。なぜドイツやロシアなどその他の国の作品をあえて避けるのか。そもそも本家本元のイタリア国内で、お国ものしか上演しない方針を堂々と掲げている劇場を、私は知らない。なぜなら、イタリアの劇場であろうとどこの劇場であろうと、歌劇場である以上、「オペラ」を上演することが当然の使命だからだ。
 
 上にも書いたとおり、藤原がこだわりを持っているのは、それなりの理由があるからだとは思う。それでも私は言いたい。活動範囲にヘンな枠をはめているのではないか。それはある意味、片手落ちではないか。
 
偏りなくあらゆるオペラを手掛けることで、一流歌劇団としての地位や格式が備わるのだと思うのだが。
様々なオペラにチャレンジすることで、刺激を受け、学べるものや得られるものが確実にあると思うのだが。演奏水準に一層の磨きがかかると思うのだが。
「自分たちがどうしたいか」ではなく、オペラ上演団体として「どうあるべきか」が問われると思うのだが。
 
自分たちの自己満足のために活動してはいけない。すべてはお客さんのため。
 
なぜなら、皆さんは「プロ」なのだから。
 
第9の出演依頼があったら、断らず、喜んでドイツ語で歌うんでしょ??
 
 
・・・すみません、単なるシロウトファンの遠吠えでした。
言っておくけど、「これはこれで、いいのではないか」というご意見、決して否定しませんから。私は多様な考えを受け入れることができる心の広い人間です(笑)。