ドビュッシー 歌劇ペレアスとメリザンド(コンサート形式上演)
指揮 シャルル・デュトワ
合唱 東京音楽大学
ステファーヌ・デグー(ペレアス)、ヴァンサン・ル・テクシエ(ゴロー)、フランツ・ヨーゼフ・ゼリッヒ(アルケル)、カトゥーナ・ガデリア(イニョルド)、カレン・ヴルチ(メリザンド)、ナタリー・シュトゥッツマン(ジェヌヴィエーヴ) 他
思わず息を呑んだ演奏だ。これはすごい。特筆すべき名演である!
仮にこれをそのまま本場パリに持っていったとしても、現地で絶賛を博するのではなかろうか。
もちろん、キャストにフランス人を中心とするそれぞれの役の第一人者を得られたからこそというのもある。彼らのうちの何人かは、実際にパリ・オペラ座の舞台で同役を歌っている。
そうした助っ人のおかげがあるにせよ、日本国内上演でこれだけのフランス・オペラを演奏できたというのが驚嘆だ。
個人的にそう思うくらいの名演。
それならそれでも構わない。だが、このペレアスこそは「隠れ本命」「実質1位」「玄人の耳が選ぶ1位」になる。断言してもいい。
もし「隠れ」ではなく本当に1位になったら、N響ファンの耳は肥えているという実証だ。
(順位を付けることに何の意味があるのかということは別にして)
ドビュッシーの音楽はよく「色彩」という言葉を使って形容される。今回のデュトワのペレアスは、私は色彩というより「光」それから「輝き」だったような気がした。洞窟に差し込む光、森の中のおぼろげな光、日差しの光、水面に反射する光、指輪の輝き、メリザンドの美しい長髪の輝き・・・。
これらはすべて物語の背景を形成する要素であるが、デュトワはこうした光の煌きとコントラストが登場人物の動きや心情につながっていると見抜き、光の加減という感覚を音に変換し調節して、心理劇とも言えるようなドラマに迫ろうと試みた。
こうしたアプローチによって「音でありながら明暗を感じる」「見えないのに見える」という、まるで魔法のような視覚効果が生み出された。これなどはまさにデュトワしか出来ない究極の芸当と言っていいだろう。
デュトワはこの作品を採り上げるに当たり、「むしろコンサート形式上演がふさわしい」と語ったそうだ。なるほど、よく理解できる。
音のみで上記の視覚効果を創り出すことが出来るのなら、装置なんかいらない。道具、演技、歌手の立ち位置などが場合によって音楽的効果と衝突するくらいなら、最初から無い方がいい。音楽だけで物語を雄弁に語らせる絶対的な自信がある。
それはフランス音楽を得意とするこの指揮者の強烈な自負の現れに他ならない。
こうして演出から解放された歌手の歌い方は、あたかも話し、囁き、つぶやき、言漏らすかのようだ。これはもちろん、指揮者が歌手に対して、感情をほとばしらせながら「告白する」歌い方に神経を尖らせているからである。朗々と歌い上げる必要はない。ドビュッシーはそういう音楽ではない。心配しなくても、オーケストラとバランスを取り、言葉を浮き立たせる仕事と役割は、指揮者が完璧に担う。これなら、歌手も全幅の信頼を置き、音楽に集中して歌うことが出来るだろう。
名誉音楽監督であるデュトワとの共演は、年にひと月だけの一期一会。次回、また来年の12月に来日予定が入っている。日程を見ると、通常の土日連日ではなく、今回と同様に金曜日と日曜日で中1日空いている公演がある。
ということは!! またオペラのコンサート形式上演だ!
今度は何をやるのだろう? これは楽しみである。