指揮 マリス・ヤンソンス
クリスティアン・ツィメルマン(ピアノ)
ブラームス ピアノ協奏曲第1番
お客さんのうち少なからずの人が、この日の最大の目玉をコンチェルトに置いていたと思う。世界的ピアニストが世界的オーケストラをバックに協奏曲を弾くという華麗な協演。ある意味当然である。超満員の聴衆の中には明らかにピアノファン、ツィメルマンファンと思しき方々が押しかけていた。
ちなみに私のお隣さんはコンチェルトの最中ずっとピアニストを双眼鏡で覗いていて、休憩後にはもう席に戻ることがなかった。目的を果たし、大満足でお帰りになったのだろう。あるいは楽屋口に直行したか。
何を楽しみにするかは人それぞれ。口を挟む権利はない。
その収穫はしっかりと得られた。震えるほどの感動にまみれた絶頂の瞬間は、二曲目に訪れた。
当代随一のドン・ファンだったと思う。少々オーバーな言い方をさせてもらえるのなら、それは「神業」に近かった。私にとって忘れられないカラヤン&ベルリン・フィルの演奏に肉薄した。あの時、「これ以上はもうないな」と舌を巻いた演奏を彷彿させたのである。それくらいの絶品だった。
(あまり爆発的ブラヴォーが飛ばなかったのは、まだ二曲目だったのと、短い曲なのと、終わり方が静かだから、という些細な原因であると信じたい。)
「神業」 - そう、神だったのだ。天のシュトラウス様が最高のオケを遣わしてくれて、自身の作品の神髄を啓示したのだ。私は絶対にそう思う。
先日、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンにて。
私はシュトラウスの墓前で頭を垂れ、謝った。
「生誕150年であるにも関わらず、日本ではろくな公演がなくてすみません。」と。
併せて祈った。
「どうか、これからも私に究極のシュトラウス体験を授けてください。」と。
それにしてもバイエルン放送響のうまさといったら・・・。
たぶん、これこそが「ミュンヘン」ということなのだろう。
一曲目のツィメルマンのコンチェルトについても、もちろんコメントしよう。
名演であったことは疑いの余地もない。成熟した大人の風格あるブラームスだった。
何よりもツィメルマンが素晴らしいのは、常に対話をしているということ。指揮者と対話し、オケと対話し、ピアノと対話し、作品と対話する。そして相手の話に謙虚に耳を傾ける。