クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

オケ公演のソリスト

 以前から思うところがあったので、ちょうどバイエルン放送響とツィメルマンの共演コンサートに併せて書いてみたい。
 
1 大物ソリストと外来オケの豪華共演
 まさに今回のケースだが、こうした来日公演概要が発表されると、実はやや複雑な気持ちになる。
 豪華という意味ではもちろん申し分ないのであるが・・・それによってチケット代が割増になるのがイヤ。エコノミーチケットがますます取れにくくなってしまうのがイヤ。
 ただでさえ外来公演は高い。せっかく高い金を払う以上は、そのオケの演奏を存分に楽しみたい。オケの真の実力を見定めたい。個人的に、お金はオケと指揮者に対して払っているつもり。だってオーケストラの公演なんだから。
 協奏曲の場合、なんだかんだ言っても主役はソリストであり、オーケストラのお仕事は「伴奏」なのである。(そうじゃないという意見もあるかもしれないが、だったら、コンチェルト後にオケ奏者をステージで座らせたままソリストの単独アンコール演奏を許すのはどうかと思うぜ。)
 
 大物ソリストの演奏は、別途のリサイタルなり、日本のオケとの特別演奏会などでやってくれればそれでいい。
 
 そもそもさ、地元で行っている通常の定期演奏会で、大物ソリストを呼んだ際に特別料金って設定しているの? 案外やっていないんじゃないの?(例外はあるかもしれないけどね)
 
2 ソリストが招聘エージェントの契約日本人である場合
 よくあるケース。てか、そればっか。
 オーケストラ側から「来日するにあたってこのソリストと一緒に協奏曲をやりたい」というのならともかく、招く側から「どうかひとつ、うちが契約しているこの人と共演してくれませんかねえ」と交渉して抱き合わせるやり方。きたねえというか、姑息というか、腹が立つ。
 
 要するに、オケにその実力を認められ、オケに請われて来日に同行するわけではないのだ。我々だって別にどうしても聴きたいというわけでもないのに、無理やりとまでは言わないけど、聞かされるわけだ。
 
 でも、この問題は根深い。そして、今に始まったことではない。こうした風潮はエージェントの存在がある限りなくならないんだろうね。諦めるしかないのか。
 
3 ソリストが指揮者の身内で、明らかにコネクションの場合
 上記2とは、今度は逆の関係。これが一番たちが悪いかもね。日本に呼ぼうとしたら「奥さん(あるいは息子さんでも娘さんでも)をソリストとして同行させたい。それを認めてくれなきゃイヤだもんね。契約しないもんね。」と一方的に抱き合わせされるやり方。
 
 ロシアの指揮者ロジェストヴェンスキーが読響を振るために来日すると、必ずヴィクトリア・ポストニコワというピアニストがくっついてきた。毎回必ずだ。彼女は「妻」である。ひどい時は更に息子(いちおうヴァイオリニストらしい)まで連れて来やがった。
 
 公私混同も甚だしい。読響は足元を見られているんじゃないか。舐められているんじゃないのか。
 私はそういうのが大嫌いだったので、ロジェヴェンが振る読響コンサートにはまったく行かなかった。抗議の意を込めて無視した。(はるか昔、単独で来日したBBC響、それからソヴィエト国立文化省響の公演には行った。)
 
 今、これと同じことを向こうでやっているヤツがいる。ラトルだ。くっつけているのは奥さんのコジェナーさんね。
 やだねえ、こういうの。恥ずかしくないのかね。スポーツの世界で明らかに「監督の身内」という理由でレギュラーだったら、すさまじい批判を浴びるだろ? 堂々と個人の実力だけで勝負せいっつうの。