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2014/5/10 ボストン響

2014年5月10日   ボストン交響楽団   サントリーホール
マーラー  交響曲第5番
 
 
 鮮烈、あまりにも鮮烈だった。
 大げさかもしれないが、これは私にとって転換点となった画期的公演だ。それはつまり、ボストン響に対する既成のイメージが思い切り覆ったことを意味するものである。
 
 小澤征爾と共に日本にやってきて、小澤征爾の退任と共に来日の縁が遠のいたボストン響。今回、15年ぶりだという。
 その15年前の公演は行かなかった。あえて背を向けた。それまでに4回の来日公演に足を運んでいたのだが、一度も良い印象を持つことが出来なかったためだ。やれ「名門」だの「ビッグ5」だのと呼ばれていたが、私の評価は「イマイチ」。
 他のシカゴやニューヨーク、フィラデルフィアクリーヴランドには「そのオーケストラが持つ独特のサウンド」というのがはっきりと存在する。
 これに対し、ボストンにはこれといったインパクトがない。当時から世間では「ミンシュの薫陶を得たフランスのエスプリ」などと評されていたが、私には全然感じられなかった。
 
「際立ったキャラに乏しい」「オーラが無い」
ボストン響の印象は、そのまんま私の小澤征爾に対する評価だった。
 
 小澤が去った後、レヴァインハイティンクマゼールらがオケをどのように調教したのかはわからない。だがはっきりと言えるのは、小澤時代とは明らかに変わったということだ。
 「アメリカのオケらしい美しく輝かしいサウンドの覚醒」と言ってもいいかもしれない。潜在化していたものが蘇ったのである。
 それは逆にシカゴやフィラデルフィアが今、少しずつ少しずつ失いつつある貴重な財産なのだ。
 
 もう少し具体的に言おう。管楽器において、各奏者の演奏技術が高く、上手い。そして音色が美しい。特に金管の純度100%の金のような美しさは、驚異的の一言である。マーラー5番冒頭の葬送ファンファーレには、おそらく多くの聴衆が腰を抜かしたことだろう。奇跡の瞬間だった。
 そうした高い演奏能力が壮麗な響きの構築を可能にし、聴き手を陶酔の世界に誘う。
 
 美しい音色を調理し、そこに緻密さと精妙さを味付けする技において、デュトワの右に出る者はいない。彼の最も得意とすることだ。こうした絶妙のバランス仕上げによって、サントリーホールに類まれなる色彩が踊った。
 
今回マゼールが落っこちてしまったが、私にとっては災い転じて福となす。
その結果、初めて、そしてようやくボストン響の魅力に開眼。
マゼールファンにも小澤ファンにも、申し訳ないが。