クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

アレクサンドル・ラザレフ

 巷では「理想の上司」「上司にしたい人」アンケートの類がよく行われて、結果についてニュースなどで報じられる。イチロー池上彰天海祐希といった有名人が常連で、部下を温かく育ててくれそうな人、仕事が出来て、組織をしっかり引っ張ってくれそうな人などが上位に名を連ねているようだ。
 はっきり言ってこんなのは単なるイメージであり、実際その人物の本性がどうなのかは誰も知らないはずだが、まあイメージというのは大事だし、世相を表す一つの指標でもあろうから、とやかく言うのは野暮というものだろう。
 
 さて、ここでクラシック音楽界にも目を向けて、もし同様のアンケートを取ってみたら、いったい誰が選ばれるだろうか。
 
優しそうで民主的なアバド
カリスマ的なリーダーシップを発揮するムーティティーレマンか?
それとも飾らず、偉ぶらず、気さくな小澤征爾
 
 間違ってもチェリビダッケクレンペラームラヴィンスキーが上位に入ることはない(笑)。リハーサルの最中は緊張の連続で、あの怖そうな顔でジロッと睨まれたら、オシッコちびっちゃいそうだもんな。
 
 私のイチ押しはというと・・・記事のタイトルにその名を出してしまったので最初からバレバレだが、そう、ラザレフなのだ。
 
 先週の土曜日にラザレフが指揮する日本フィルのコンサートに行った。(横浜みなとみらいホール
 彼が振るコンサートはいつもそうなのだが、その振舞いがとても微笑ましく、毎回ほのぼのとした気持ちになって会場を後にする。今回もそうで、公演の感想、演奏の出来云々などどうでもよくなってしまった。と同時に、上記の「理想の上司」がふと頭をよぎったというわけだ。
 
どういった点が理想の上司のイメージに重なるのか。
それは、ラザレフが演奏の成果、素晴らしい演奏の手柄を必ずといっていいほどオーケストラに差し出すことだ。バケモノ視聴率を叩きだしたドラマ半沢直樹に出てきた名言「部下の手柄は上司の物、上司の失敗は部下の責任」の真逆である。これはオーケストラ奏者にとっては嬉しい事だろう。
 
 指揮者は必ずカーテンコールで献身的に演奏してくれたオーケストラを讃える。各首席奏者や活躍したパートを起立させる。これをやらない指揮者はいない。みんなそうだ。
 だが、どことなく何となくパターン的である。きっと心の中では「上手くいった。ちゃんとリードできた。その結果、自分の音楽がしっかりと聴衆に届いた」とほくそ笑んでいるに違いない。
 元N響のヴァイオリントゥッティ奏者だった鶴我裕子さんは、著書ではっきりと言っている。指揮者は「自分では演奏しないくせに、手柄を全部持って行ってしまう憎きヤツ」であると。
 
 でもラザレフは違う。いや、もちろん傍らから見ているだけなので断言は出来ないが、少なくとも違うように見える。
 演奏終了後、ラザレフは言葉にこそ出さないけどお客さんに向かってこう言っている。
「お聴きくださいましたか皆さん。素晴らしい演奏だったでしょう。どうか彼らに拍手をしてやってください。彼らがやってのけたのです。私ではありませんよ。」
 そして各パートの首席奏者のところに歩み寄って、直接手を取って起立させる。「ブラヴォー、本当に素晴らしかった。あなたのおかげですよ。」
 ちなみに土曜日の公演では、オーボエとフルートの女性首席奏者まで足を運んで、手にキスをしていた。
 演奏の成否を握ったソロ奏者に対しては、時と場合によって、本人を指揮台まで手を引っ張って連れてきて、万雷の拍手を受けさせようとする。本人は大照れ、場内は大ウケだ。
 
 こうこうことをされたら、そりゃ演奏する側は頑張っちゃうでしょう。オーケストラ奏者だって所詮は人間なのだ。
 
 ラザレフの偉いところはそれだけに留まらない。
 この日の彼は、観客に譜面台上のスコアを高々と掲げてみせた。もちろん「主役は音楽なのです。偉大なのは作曲家なのです。」というメッセージ。
 更にはアンコールの演奏終了と同時にクルッと客席に振り向いて感謝の投げキッス。そこまでやるか(笑)。でも本人はいたってマジメなのである。
 
 こうした微笑ましいステージマナーに好感を持ってラザレフのコンサートについつい足を運んでしまうお客さん、結構いるのではないか。どういう形であれ、「いいねえ。また来たいね。」と思わせるのも、指揮者の才能の一つだ。