マーラー3番を聴いた。初めてのマラ3だった。
バレンボイムと二人で来日。当時、バレンボイムは既にパリ管の音楽監督だったが、ショルティと並ぶとまだまだひよっ子。ショルティの公演だけが注目を浴びていた。私はブルックナー7番がメインの公演に行った。初めてショルティの指揮を見たが、「おじいちゃんのラジオ体操みたいだな」という印象でした(笑)。
出たぁ!!衝撃のクライバー!!伝説の指揮者がついにコンサートでベールを脱いだ!プログラムは2つあったが、私はベト4&ベト7の方に行った(もう一つのメインはブラ2)。今だったらとーぜん両方行くがな。アンコールのこうもり序曲は観客が興奮の坩堝状態に。一緒に行った友人は感動で呆然として、しばらく動けなかった。
ウラディーミル・ホロヴィッツ(6月)
遡ること3年、幻のピアニストの初来日は大事件だった。にもかかわらず、某評論家が「ヒビの入った骨董品」と評して、一挙に株価急落。おかげでこの時のチケットは楽勝で買えた。ヒビなんか入っていない見事な骨董品だと思った。
本当はムラヴィンが来る予定だったのにぃ・・・。超がっかり~。誰や?ヤンソンスって。知らん(笑)。
オープンしたてのサントリーホールでブル5を聴いた。後に「後世に残る伝説的名演」と語られるのだが、私の印象は最悪。テンポが遅い。とにかく遅い。「この指揮者はただ音を聴いているだけだ。意味のない遅さだ。」とニセモノ評論家は酷評。チェリを崇拝する輩から「オマエは音楽が分からんやっちゃな」と後ろ指さされた。
カラヤン急病によりピンチヒッターで登場したのが我らがセイジ。カラヤンが降りたのは、自分よりも先にかつてのライバルのチェリが先にサントリーHに登場したことに気分を害したからではないか、という邪推が入った。日本初お披露目の「小澤&BPO」というのはそれなりにインパクトがあった。
つまり、ウィーンフィル、ベルリンフィル、コンセルトヘボウ、シカゴ響、レニングラードフィルという当時の世界のトップ5が全てやって来たわけだ。更に、クライバー、チェリビダッケ、ホロヴィッツとまあ、これだけの顔、普通揃わないよな。
ということで、この年はとんでもない年だったというわけです。バブルの前兆だったのか?
でも、上記の公演に行っているのはちょっと自慢、いや、かなり自慢(笑)。