2013年12月27日 ストックホルム王立劇場
指揮 ローレンス・レネス(Renes ルネ?ルネス?)
演出 ソフィア・ジュピター
最大の注目はウィーン国立歌劇場の宮廷歌手であるニーナ・シュテンメ。世界最高のソプラノの一人。間違いない。聞き逃してはならない偉大な歌手である。
そのシュテンメは、ストックホルム出身。ホームでの公演という意味でも期待の高まる公演だ。
彼女の他には、指揮者も他の役のソリストもほとんど知らない。だが、そんなことはどうでもいい。「シュテンメが歌うサロメ」、これがすべてでしょう。母国に帰ってきたヒロインを迎え入れた地元のお客さんたちも皆同じ思いであったはず。
で、案の定、そういう公演だったわけさ。シュテンメだけにスポットライトが当てられているかのごとく傑出し、図抜けた存在だった。申し訳ないけど、他のソリストたちは単なる引立役だった。これはもう仕方がないと思う。だって完全に別格なのだから。
私はステージ上の彼女を最初から最後までずっと目で追っていた。別に意識して追っていたわけではない。圧倒的な歌唱を耳にし、輝いた存在を目の当たりにすれば、そうなるのは当然。これだけ一人の出演者だけに釘付けになったのは、一昨年夏のザルツで聴いたA・デノケ以来のことだ。
シュテンメの偉大な歌声について、美辞麗句を並べ、感嘆の形容詞を用いて激賛するのは容易い。
だが彼女の本当のスゴいところは、どの役においても(ヴェルディでもワーグナーでも)常にレベルが高いこと、そして安定感が抜群だということだ。これまで私が聴いた公演で、声が不調だったり、音楽的にイマイチだったりといったことはただの一度もない。常に完璧。
これは天賦の才能や確かな基礎技術だけでなく、日頃の入念な鍛錬と準備、節制、身体や喉の調整に万全を尽くしている結果ゆえであろう。そういう意味で彼女は、すべての歌手の中でもお手本、鑑的存在と言えると思う。
あとはブリュンヒルデか。
2016年のウィーン国立歌劇場の引っ越し公演で彼女が来日キャスト陣に加わることをとにかく期待しよう。確信はないが、なんとなく実現しそうな気がする。なぜなら、ウィーン国立歌劇場が世界トップ歌劇場としての威信をかけるとするなら、彼女を帯同させることが当然のなりゆきだからだ。
演出について、簡単に添えておく。
舞台はセミモダン。聖書の物語ではなく、現代の社交パーティの一コマに置き換え。
で、最後はヘロデの命令によりサロメ自身も喉を切られ、寄り添うように二つの遺体が並んだところで幕が降りる。
これによって生首にキスするという怪奇的なおどろおどろしさが薄れ、サロメのバケモノ・キワモノ感が払拭されていた。確かにこの方が生首を抱えているよりもずっと人間的だし、サロメのヨカナーンに対する憧憬が感じられる。歌い手にとってもこっちの方が演じやすいだろう。なかなかナイスな解釈だと思った。
え?? 例の踊りはどうだったかって??
グフッ♡ グヒヒ♡
知りた~い??
教えな~い!(笑)
なんてな。スマン。
現代のサロメ上演において、そのまんま踊りながら脱いでいく演出をやってもしようがない。能が無いと後ろ指を指されるだけだ。
今回は、取り囲んでいる男どもにサロメが次々と陵辱されるというような演出になっていたが、別に目を背けるほどのものではなく、いたってソフト。そういう意味では実に穏当だった。