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2019/6/9 二期会 サロメ

2019年6月9日   二期会
指揮  セバスティアン・ヴァイグレ
演出  ヴィリー・デッカー
片寄純也(ヘロデ)、清水華澄(ヘロディアス)、田崎尚美(サロメ)、荻原潤(ヨカナーン)、西岡慎介(ナラボート)   他
 
 
二期会サロメと言えば、2011年2月に上演したペーター・コンヴィチュニー演出版が、まだ記憶に新しい。
読替えというより、「単に既存の概念をぶっ壊すのが目的なだけじゃないか?」と思わせるコンヴィチュの奔放な演出はかなり辟易だったが、全力で体当たりした二期会の取組みは大健闘と言ってよかった。
 
あれから8年。名演出家として名高いデッカー版(ハンブルク州立歌劇場との共同制作)で、再びサロメに挑戦だ。
 
このように世界の劇場から良質プロダクションを手に入れ、外来歌手の招聘に頼らずに日本人歌手の力で上演に持っていくこの団体のチャレンジ精神は、大いに買いたい。
「共同制作とは名ばかりで、再演されずに倉庫に眠っているのを払い下げしてもらっているだけ」という辛辣な指摘もあるが、別にいいじゃないか、いったいそれの何が悪いのか、と私は思う。手っ取り早いやり方で、出演者は最前線の演出の潮流に触れることができる。我々だって、良い舞台が観られるのなら、どんな形だってウェルカムだ。
 
さて、今回のサロメだが、かなり本格的な公演だったと思う。「日本人による日本人のための」という狭い枠を越えた、常設歌劇場のレパートリー公演のような風格だった。
 
もちろん、そう思わせたのは、舞台装置を含めた演出チームの力が大きいし、オペラを振り慣れている実力指揮者の力も大きい。これらなくして公演の成功はあり得なかった。
 
そうした貢献を差し引いても、出演歌手の歌唱と演技は、堂々たるものだった。
 
これまで、二期会公演には「とにかく一生懸命頑張りました」感が滲み出ることが多かった。
また、二期会公演の感想を書こうとすると、まず演出について語り、次に指揮者について語り、オケについて語って、それでお終いということが多かった。
今回は、出演歌手の純粋な出来について、素晴らしかったと思う。
中でも、タイトルロールの田崎さんは実力を見せつけた。「あー、日本人でもサロメをこれくらい歌えるんだなあ」という新鮮な驚きだった。
 
今回のサロメ像について。
当然のことながら演出家デッカーが思い描いた表象が色濃いわけだが、「生首を所望する」というグロテスクさは抑制されつつ、「欲しい物は何が何でも手に入れたい」という欲求と衝動が強く発せられていた。
このわがままな欲求と衝動は権力者特有で、サロメだけでなく、ヘロデやヘロディアスも持っているドス黒い潜在物。王族としての血縁と歪んだ特権意識から生まれたものだ。
舞台いっぱいに広がる階段を駆け上がり、駆け下りるバタバタした動きが、こうした内面を暗示し、強調する。
 
この階段を使った動きは、サロメ、ヘロデ、ヘロディアス、ヨカナーンの関係構造、その他の取り巻き連中との関係構造も図式化していて、倒錯した物語を読み解くヒントにもなっている。
さすがデッカー、考え抜かれた舞台である。
 
また、サロメが短剣を自らに刺して自害を図るラストシーンは、観客に衝撃を与えつつ、その動機について謎のまま観た人に考えさせる余地を残すというのも、心憎いやり方である。
 
指揮者ヴァイグレの音楽について。
非常に感心したことがある。
普通の指揮者なら、これだけ精緻で多層的なスコアを前にしたら、音を次々に重ね鳴らす手法を取りたいと思うだろう。
あくまでも私の印象だが、ヴァイグレがやっていたアプローチは、その逆で、あたかも古い名画の修復のように、後に書き加えられた余計な着色を丁寧に取り除く作業のようだった。積み重ねるのではなく、取り除くことで、鮮明さを蘇らせる魔法。
こういう技法をさりげなく披露してしまうのが、熟練カペルマイスターの実力。
さすがだと思った。