2013年11月17日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール
合唱 ウィーン楽友協会合唱団
演奏が終了すると、会場は嵐のようなブラヴォーに包まれた。それは近年稀にみるほどの熱狂的な喝采だった。
オーケストラが引き上げた後も指揮者がカーテンコールに応えてステージに登場することは、外来公演では別に珍しいことではない。だが、この日は明らかにいつもと違った。拍手は一向に鳴り止まず、お客さんは総立ちとなり、ティーレマンは計4回も呼び戻された。単独で、あるいはソリストたちと一緒に、あるいはコンマスのキュッヒルと一緒に。
もちろんボクも立ち上がって手を叩いていたが、そうしながら目では、ステージを取り囲んで熱心に拍手を送り続けているたくさんのお客さんたちをずっと眺めていた。
美しい光景だった。みんなが笑顔になっている。みんなが幸福感に包まれている。「素晴らしい演奏をありがとう!感動をありがとう!」と心の中で叫んでいるのが分かる。
ボクは自分なりに、音楽が持つ可能性と底知れぬパワーの存在に気づいているつもりでいる。音楽は人々を癒やし、慰め、勇気づけ、活力や希望の糧になることを既に知っている。そして、ボクはその不思議な力に魅せられ、それを生涯追い求めてみようと心に決めた。
この日、会場に集ったお客さんの多くが、演奏もさることながら、改めて音楽の偉大さ、音楽の素晴らしさに気が付いたのではないか。みんなの紅潮した顔を見て、そう確信した。自分の人生を音楽に賭けてみようと決めたボクにとって、それは本当に本当に嬉しい事だった。だから、指揮者ティーレマンに、演奏したウィーン・フィルに、そして我々に偉大な宝を残してくれたベートーヴェンに心から感謝しようと思う。
ティーレマンの第9は、いにしえの巨匠の至芸をノスタルジックに思い起こさせるものだった。1940から50年頃のフルトヴェングラーやワルターの演奏。古くて耳障りな劣悪録音に耐えながらじっと耳を傾けていると、やがて聴こえてくる音楽の神髄。あの時代の演奏を生で聴くことは決して叶わないが、「ひょっとしたら、あの時繰り広げられていたのはこういう演奏だったのはないか」と想起させてくれるものだった。
この指揮者に対してはアンチも多いと聞く。そうしたアンチが何を言っているかというと、「溜めがあざとい」とか「テンポが揺れる」とか、そういうことが多い。でも、それって表面的なことだとは思わないか?
いいじゃないか。上に書いたとおり、この日だって多くのお客さんが音楽の偉大さに改めて開眼したのだから。素晴らしい指揮者だと思うよ。